はじめに
遺伝子治療は、一言でいえば、遺伝子レベルでの治療、あるいは遺伝子を使った治療のことである。
遺伝性疾患と呼ばれる遺伝子に異常がみられる患者では、遺伝子の塩基配列に異常があり、ある種のタンパク質が作られないことが原因で発症する疾病に苦しんでおられ、それを根本的に治すには遺伝子レベルでの治療、遺伝子治療が必要である。
現在の遺伝子治療は、正常な遺伝子(cDNA) を細胞に発現させて、正常なタンパク質を作らせて遺伝性疾患を治療するというのがコンセプトである。
尚、遺伝子治療に似た治療法にゲノム編集というのがあるが、ゲノム編集は患者の染色体DNAに存在する異常遺伝子自体を修復するものであるので、遺伝子治療とは区別されている。ゲノムとは、遺伝子(gene)と染色体(chromosome)から合成された言葉で、DNAのすべての遺伝情報のことである。
生体内での遺伝子発現には、目的遺伝子の運び屋(ベクターと呼ばれる)が必要である。このベクターを利用して、 正常な遺伝子を細胞の中に入れる。
ベクターにはウイルスベクターと非ウイルスベクターがある。 現在、臨床で主に用いられているものは、導入効率の観点からウイルスベクターが主体である。ウイルスベクターでよく用いられているものには、レンチウイルスベクターやレトロウイルスベクターなどの染色体挿入型ウイルスベクターである。最近、アデノ随伴ウイルス(AAV)ベクターを使用した例が急増している。
遺伝子治療の一例として、患者の骨髄から幹細胞を取り出し、ウイルスベクターを利用して健康なヒトから取り出した正常な遺伝子を細胞の核のDNAに組み込み、その細胞を特殊な方法で増やして、もとの身体に戻すという方法がある。うまくいけば、体内で正常な遺伝子が働き、今まで作られなかったタンパク質が作られてるようになり疾病の治療法となる。
<目次> はじめに 遺伝子治療の分類 各種ウイルスベクターの特徴 遺伝子治療研究の歴史 遺伝子治療研究の現状 (事例1)造血幹細胞に遺伝子を導入し、 先天性の免疫不全症やサラセミアなどの疾病を治療する (事例2)AAVベクターを用いた中枢神経系に関する遺伝子治療 (事例3)眼の先天性異常に対する遺伝子治療 (事例4)脊髄性筋萎縮症(SMA)に対する遺伝子治療 今後の展望と課題 あとがき |
遺伝子治療の分類
遺伝子治療は、大別すると2 つの手法に分かれる。
一つは、ベクターの全身投与によって標的臓器に遺伝子を直接発現させる(in vivoという) のアプローチであり、もう一つは体外に取り出した患者の細胞に目的遺伝子を発現させ、体内に戻す(ex vivoという) のアプローチである。
in vivoのアプローチは、ベクターを直接、患者に投与する方法であり、例えば、血友病であれば、直接静脈に凝固因子を発現するベクターを投与し、凝固因子産生部位である肝臓で正常遺伝子を発現させる。
ウイルスベクター(例えば、AAV、レンチウイルス、アデノウイルスなど)や非ウイルス性の運搬システムを用いて、直接体内に治療用の遺伝子や編集ツールを投与する方法は、特に固有の組織や臓器に対して標的性を持たせ、局所的あるいは全身的に効果を発揮することが期待されている。
ex vivoのアプローチは「遺伝子細胞療法」と呼ばれる方法である。例えば、CAR-Tのように、患者から細胞を採取し遺伝子導入を行い、それを患者に再投与する
患者から採取した細胞(例えば、造血幹細胞や免疫細胞など)を体外で遺伝子改変し、その後患者に戻すことで、より安全性や改変効率を高める手法も進展している。CAR‑T細胞療法など、腫瘍免疫療法における応用例はこの代表的な技術である。
CAR‑T細胞療法は、がん治療における遺伝子治療の成功例として知られている。患者自身のT細胞を体外で遺伝子改変し、がん細胞を標的とする受容体(CAR)を発現させることで、特に難治性のB細胞性悪性腫瘍に対して高い治療効果を示している。実際、急性リンパ性白血病(ALL)や一部の非ホジキンリンパ腫に対して、この治療法は著しい奏効率を示しており、個別化医療の先端を行く技術のひとつとして期待されている。
in vivoのアプローチとex vivoのアプローチに共通する作用機序は、目的の細胞にある特定の遺伝子改変を実施することで目的の機能を発現させ、治療効果を得ることである。
これらの手法は、従来のウイルスベクターの改良によって免疫応答の軽減や標的到達効率の向上といった面で大きな進歩を遂げ、さらにmRNAや核酸編集技術の登場で、より柔軟かつ精度の高い治療が可能となっている。
各種ウイルスベクターの特徴
CAR-T療法のような遺伝子細胞療法に用いられる主たるベクターは、ウイルスベクターとしてはAAVベクター、レトロウイルスベクター、レンチウイルスベクターなどがある。
その性質の大きな違いは、AAVベクターは染色体に組み込まれにくいベクターであり、レト ロウイルスベクターやレンチウイルスベクターは染色体に組み込まれる、と理解されている。
遺伝子治療研究の歴史
1990年代後半から2000年前後にかけて、遺伝子治療の臨床応用が次々と実施され、新たなモダリティ(New modality)として注目を集めた。当時は大きく期待され、年々臨床試験の数も増加したという。
しかしながら、明確な有効性を示す事例はあったものの死亡事故などの深刻な副作用が次々と発生した。例えば、X-SCIDのレトロウイルスベクターをもち いた遺伝子治療で発生した白血病の問題を契機に、遺伝子治療の開発は熱が冷めたように一時的に停滞した。
この遺伝子治療の臨床応用が停滞した時期においても、欧米では着実に研究者層を拡大し技術を蓄積していた。その地道な研究開発が欧米で進められ、例えばウイルスベクターの安全性は当時と比べ飛躍的に向上した。そして遺伝子治療の臨床試験の数が再び増加に転じた。その結果として、様々な遺伝性疾患に対する臨床試験が進められ、2010 年代に単一遺伝子疾患などに対する複数の製品が海外で承認されるに至った。
一方、日本でも遺伝子治療に対する注目が集まってきてはいるもの、欧米に比べると研究者の圧倒的に少なく、優れた成果を挙げている研究室はあるとは言え、研究者コミュニティの拡大には至っていない。その辺の研究環境の改善も必要だと思う。
遺伝子治療研究の現状
遺伝子治療は、現在では最も注目されている新規モダリティ(New modality)の 一つと言えるのではなかろうか。
遺伝子治療の臨床試験で非常に良い成果が挙がっていると報告されているものには下記のような事例がある。
(事例1)
造血幹細胞に遺伝子を導入し、先天性の免疫不全症やサラセミアなどの疾病を治療する
ex vivoのアプローチは、造血幹細胞を対象とした開発が主に行われてきた。
EU では既にADA欠損症に対する治療薬として承認されているようだ。ADA-SCID(アデノシンデアミナーゼ欠損症)の遺伝子治療においては、免疫不全状態となる患者に対し、欠損しているADA遺伝子を正常な状態に修復することで、免疫機能が著しく改善される成果が確認されている。これにより、従来長期にわたる対症療法では解決が難しかった免疫不全の克服に向けた新たな道が開かれた。これは、遺伝子治療の初期の成功例として知られている。
(事例2)
AAVベクターを用いた中枢神経系に関する遺伝子治療
自治医科大学の研究グループ(村松博士、山形博士ら)が中心に なって推進している血友病の治療に関して、 欧米で遺伝子治療の臨床試験が行われ、有望な成績が報告されている。
2001年頃から血友病の遺伝子治療の臨床試験は行われてきたが、有望な成績が収められたのは、ごく最近のことであるらしい。現在、Spark社(Spark Therapeutics Inc.;米国)とBioMarin社(BioMarin Pharmaceutical Inc.;米国)の2社が非常に良い結果を出しているという。
Spark 社は、血友病の遺伝子治療の研究者が立ち上げたベンチャーであり、血友病Bの遺伝子治療技術をNEJMに報告し、第3相試験はPfizer社によって進められている。
BioMarin社は、元はタンパ ク質製剤を作っていた企業だが、血友病Aに対して非常に期待できる結果を、NEJMに報告している。サルを用いた研究では、AAVベクターの1回投与で10年以上も治療効果が持続しているという。不足する凝固因子を補充するための従来治療なら週2~3回の静脈注射が必要なところ、1回投与で治療効果が長期に持続するという。まさに患者負担を軽減する新しい治療技術として期待できる。
(事例3)
眼の先天性異常に対する遺伝子治療
Spark社が開発した「眼の先天性異常」に対する治療法がFDAに承認されたという(2017年12月)。これは、RPE65遺伝子の変異をホモに持つ網膜ジストロフィーの患者を対象に、遺伝子治療を施すものである。
ルクストゥーナ(Luxturna)は、変異したRPE65遺伝子に起因する先天性網膜ジストロフィーの治療に用いられている。この治療は、AAV(アデノ随伴ウイルス)ベクターを用いて正常なRPE65遺伝子を網膜の細胞に導入するという方法で行われ、治療を受けた患者は視力の改善や視野の拡大といった明確な効果が報告された。ルクストゥーナの成功は、遺伝子治療が従来の対症療法とは異なり根本的な機能回復をもたらす可能性を示す重要な例となっている。
しかしながら、両眼で約1億円という薬価がついており、今後、このような遺伝子治療技術が普及するときに一体どの程度の薬価になるのか想像もつかない状況である。
(事例4)
脊髄性筋萎縮症(SMA)に対する遺伝子治療
ゾルゲンスマ(Zolgensma)は、脊髄性筋萎縮症(SMA)の治療で大きな注目を浴びている。
SMAは、SMN1遺伝子の欠失や変異により発症し、特に乳幼児期に重篤な運動機能障害を引き起こす。ゾルゲンスマは、AAV9を用いて機能的なSMN1遺伝子を全身に届けるアプローチで、早期に投与することで患者の運動機能や生存率が劇的に向上する結果が得られ、遺伝子治療の成功例として国際的にも評価されている。
今後の展望と課題
遺伝子治療の今後の展望としては、以下のような点が挙げられている。
個別化医療との統合
患者ごとに異なる遺伝的背景や疾患の原因に合わせたオーダーメイドの治療法がさらに浸透する可能性が高い。ゲノム解析技術の向上に伴い、疾患の分子病態を正確に把握し、最適な治療法を設計することが可能となるからである。
安全性と精度の向上
遺伝子組み換えによるオフターゲット効果(意図しない遺伝子改変)や、免疫反応への対策は依然として重要な課題である。
新たなベクターの設計や編集ツールの改良、さらには一過性の発現を実現する技術などが進展すれば、治療の安全性が大幅に向上することが期待される。
製造・供給体制の確立
高度な技術に基づく治療製品は製造コストが高く、また製品の安定性や大量生産、適正な品質管理が求められる。
現在、各国の規制当局(FDA、EMA、PMDA)や製薬企業はこれらの面でのガイドライン策定や技術改良に注力しており、これが実用化の促進に寄与すると考えられている。
新たな適用領域の拡大
一部の希少疾患や特定のがん分野で既に実績が見られる一方、今後は神経変性疾患、循環器疾患、自己免疫疾患など、より多岐にわたる適用が期待されている。
研究段階では動物実験から臨床試験への橋渡しが進められ、実際に治療効果を示す製品が増加していくと予測される。
遺伝子治療の研究開発が進む中で、患者にとって本当に有効な治療へと昇華するためには、技術・臨床・規制といった多方面での連携が不可欠である。
今後、分子生物学やバイオ工学、デジタル技術を融合した新たなプラットフォームが確立され、治療の限界を突破し、革新的な医療の実現につながると期待されている。
これらの進歩と展望は、既に一部の治療製品が市場に出回っている現状や、各国の規制当局による早期承認の動向などからも伺うことができる。
研究者、製薬企業、規制当局が連携して課題の解決に取り組むことで、今後ますます多くの疾患に対して遺伝子治療が実現される未来が期待される。
さらに、CRISPRや他のゲノム編集技術の応用可能性、非ウイルス性デリバリーシステムの開発など、多岐にわたる技術革新が新たな治療領域へと挑戦するきっかけとなるかも知れない。
あとがき
遺伝子治療の研究は非常に活発で、多くの進歩が見られるようになっている。
例えば、CRISPR-Cas9技術の進化は、特定の遺伝子を簡単に編集できる革新的な技術であり、最近の改良により、より正確で効率的な遺伝子編集が可能になっていると報告されている。
また、いくつかの遺伝子治療の臨床試験が成功を収めている。例えば、特定の遺伝子疾患を持つ患者に対する治療が効果を示しているといった報告もなされている。
遺伝子治療は、患者の遺伝子プロファイルに基づいてカスタマイズされた治療を提供する個別化医療の一環として進化していると言えるだろう。かつて提唱されていたテーラーメイド医療が実現される時代の到来が期待される。
遺伝子治療により、従来の治療法では対処できなかった遺伝子疾患に対する新しい治療法が開発されていることは、遺伝子治療の最大のメリットである。
このような進歩により、近い将来、遺伝子治療が実際の医療の場で重要な役割を果たしていくことを期待したい。
【参考情報】
遺伝子治療とは | 一般社団法人先端医療医薬開発機構 |
日本でも既に始まっている!「遺伝子治療」とはいったいどんな治療? |
遺伝子治療│標準医療情報センター |
遺伝子治療 – 01. 知っておきたい基礎知識 – MSDマニュアル家庭版 |
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