はじめに
遺伝子治療は、特定の疾患に対して有効性が示されている。例えば、下記のような疾病については有力な治療法を提供すると期待されている。
- 脊髄性筋萎縮症(SMA)
- SMN1遺伝子の変異または欠失による遺伝性疾患で、脊髄の運動神経の機能が低下し、筋肉が萎縮していく疾病
- 筋萎縮性側索硬化症(ALS)
- 脳や脊髄の運動神経が次第に壊れていき、筋肉が衰えて動かなくなる疾病
- AADC欠損症
- 神経伝達物質の生成に関与する酵素が欠けているために、重度の運動障害や自律神経の異常を引き起こす疾病
- 慢性動脈閉塞症(閉塞性動脈硬化症及びバージャー病)
- 手足の先の細い血管がつまって血液がいきわたらなくなる疾病
- 急性リンパ性白血病(ALL)、悪性リンパ腫(DLBCL)
- 白血球のうちのリンパ系の細胞が異常に増え、感染や出血をしやすくなる血液のがん
- パーキンソン病
- 神経伝達物質の1つであるドパミンが不足することで、手の震えや歩行困難が現れ、最終的には寝たきりになる疾病
- アルツハイマー病
- 脳内の神経細胞が次々に死んでしまい、記憶力の低下や認知機能の障害を引き起こす疾病
これらの疾患の遺伝子治療の開発が進められており、遺伝子治療の効果性と安全性がさらに向上することが期待されている。
遺伝子治療の長所
遺伝子治療のメリット(長所)としては下記のようなもの知られている。
- 副作用が少ない
- 遺伝子治療ではがん細胞の核内にがん抑制遺伝子を導入
- 遺伝子に傷を付けて細胞死する機能を損なってしまったがん細胞の異常な増殖を止め、自然な細胞死へと導く
- がん抑制遺伝子は正常細胞に悪影響を及ばさない
- そのため、ほとんど副作用がない
- 耐性にならない
- 抗がん剤が効かないがん細胞(自然耐性)が存在する
- 抗がん剤を使用している過程で、薬剤耐性遺伝子が働き、薬剤耐性を得るがん細胞(獲得耐性)が存在
- がん細胞の核内で作用するため耐性となることがない
- 獲得耐性を持ったがん細胞にも有効である
- 治療範囲が広い
- 遺伝子治療は、全身の細胞レベルで効果がある
- 一定の大きさの初回のがん治療に効果がある
- 再発がん治療に効果がある
- マイクロ転移にも効果がある
- 微細ながん細胞からの再発予防にも効果がある
- がん発生予防にも有効である
- 治療適応範囲が非常に広い
- 病期によらない
- どの部位のがんでも、がん細胞の発生や無限増殖には、がん抑制遺伝子の異常が深く関わっている
- 遺伝子治療はがんの病期に関係なく有効
- 治療の併用可
- 抗がん剤や放射線治療にも影響を及ぼさない
- 遺伝子治療との併用で相乗効果を示す場合もある
- 場所を選ばない
- 通常の治療法は、点滴投与
- がん腫瘍へ直接注入も可能
- 遺伝子治療は、他の治療と比べると比較的簡単な治療
- 入院等も不要
- 患者は普段通りの生活を続けながら通院での治療可能
日本における遺伝子治療の現状
遺伝子治療は、遺伝子を編集して、細胞の遺伝子発現を強めたり細胞に新たな機能をもたせることで、患者の遺伝子疾患を根本的に治癒する医療である。遺伝子治療の進展により、多くの疾患の治療法が開発され、患者のQOLの向上が期待される。遺伝子治療の現状を知ることは、将来の展望を知る上で重要である。
日本における遺伝子治療の現状は下記のようである。
- 遺伝子治療の進行
- 日本でも実際に患者への治療として行われ始めている
- 遺伝子治療の承認
- 2022年1月時点で、いくつかの品目が承認済である
- 体内遺伝子治療製品:3品目
- 体外遺伝子治療製品(遺伝子細胞治療製品):4品目
- 遺伝子治療の開発
- 遺伝子治療の開発は活発に行われている
- 遺伝子治療のパイプライン数は増加傾向にある
- しかし、日本の開発は海外に比べて遅れている
- 遺伝子治療の課題
- 遺伝子治療の進展によって引き起こされる倫理問題
- 日本では遺伝子治療に対する研究者数が相対的に少ない
- 基礎研究で海外に後塵を拝している
技術的な課題
遺伝子治療の技術はこの30年以上の間に格段に進歩したが、それでもまだ解決すべき技術的な課題があるとされる。遺伝子治療は、疾患の治療や予防に遺伝子を用いる技術で、その研究開発には次のような課題が存在すると言われている。
- 遺伝子を効率的に体内の特定の細胞に導入する方法
- 遺伝子の発現を正確に制御する方法
- 基盤技術の開発(ゲノム編集・修復技術)
- 基盤技術の開発(ベクター技術)
基盤技術の開発(ゲノム編集・修復技術)とは、 ヒト細胞のゲノム編集技術の開発を意味する。医療応用を指向したゲノム編集技術の開発や最適化が必要である。それはゲノム修復(相同組換)の高効率化やオフターゲット低減 、あるいは「切らない」ゲノム編集を目指すことになる。
基盤技術の開発(ベクター技術)とは、ヒト細胞への遺伝子導入ベクター技術開発を意味する。AAV、レンチウイルスなどの改良 によって非ウイルスベクター(ナノ粒子など)を開発したい。
トランスポゾンは、細胞内においてゲノム上の位置を転移(移動)することのできる塩基配列である。これは「動く遺伝子」または「転移因子」とも呼ばれ、トランスポゾンには次のような2つのタイプがある。
- DNA型:DNA断片が直接移動する
- RNA型:DNAから転写・逆転写して移動する
これらの移動は「部位特異的組み換え」と呼ばれ、DNAの塩基配列が異なるDNA二重らせん間でもDNAが交換される。トランスポゾンの存在と活動は、遺伝子の多様性を生み出し、生物の進化を促進する一方で、有害な突然変異をもたらす可能性もある。
トランスポゾンは、遺伝学や分子生物学において、遺伝子導入のベクターや変異原として有用であるとされる。
そのため、トランスポゾンは、ベクターに期待されるスペックでもあり、国産技術や特許切れ技術の活用によって長期発現を可能にして、低い免疫原性を達成して、宿主ゲノムへの組み込みを無くして大量製造を可能にしたいものである。
研究課題
遺伝子治療を治療法として確立させるためには多くの重要な課題を解決していかなければならない。これらの課題を解決するための研究が世界中で進められており、遺伝子治療の効果性と安全性がさらに向上することが期待されている。
遺伝子治療における研究課題を下記にまとめてみた。
安全性と効果性の証明
遺伝子治療の安全性と効果性を証明するための臨床試験は、時間とコストがかかる。
また、遺伝子治療が効果的であることを示すためには、しっかりと設計された臨床試験が必要である。
わが国はCAR-Tの臨床試験でも、かなり立ち遅れている。2018 年1月の段階で 301件の臨床試験が進められているが、中国が 124件と最も多く、米国をも上回っている。一方日本はわずか3件である。
製造プロセス
遺伝子治療製品の製造プロセスは複雑であり、製品の品質と一貫性を確保するための厳格な品質管理が必要である。
GMP品質の国内材料供給基盤を構築することが必要であり、GMP品質と遺伝子導入ベクター製造基盤(大規模、完全自動、閉鎖式など)を確立させなければならない。
現在の最大の問題は、国内にベクター製造施設があまり無いことである。現在、国内で製造を頼もうとすると、結局、台湾やオランダ、カタパルトやベルギーなどに行ってしまう。そうすると、5,000万円~1億円ぐらいが必要となり、研究開発費が圧迫されてしまう。いつまでも海外に製造を依頼していては日本国内にノウハウが蓄積しない状況が続く。この状況はなんとかしなければならない問題である。
GMPグレードでベクターを効率良く作ることができる施設が国内で必要である。これは、アカデミアのシーズを企業につなぐ上でも大きな障壁となっている。
また、製造コストを低減させる方策として、バキュロウイルスを使用してウイルスベクターをタンパク製剤として作製する方法がある。この技術を用いることで製造のコストダウンを図れる可能性がある。バキュロウイルスの研究が徐々に進んでおり、応用ができると思う。技術的には確立しているようなので、製造施設側にモチベーションがあるかどうかだと思う。
倫理的な問題
遺伝子治療は、遺伝子を変更する技術であるため、倫理的な問題を引き起こす可能性がある。
現段階では、受精卵のゲノム編集による治療には安全面、倫理的な問題が大きい。体細胞のゲノム編集を実施し、疾患を治療する必要がある。
しかしながら、受精卵ならば1つの細胞で済むところ、例えば 肝臓では 1兆個の細胞からなる巨大な臓器であり、そこにどうやってゲノム編集ツールを発現させるかが大きな課題である。
そこで、AAVベクターを用いて解決する方策が報告されている。2017年に報告した内容では、AAVベクターに搭載するために、まずは通常のタイプと比較して分子量の小さいCas9をガイドRNAと一緒にAAVベクターに搭載した。血友病Bで欠損する第 IX因子に対するガイドRNAを設計し、野生型マウスに静脈投与したところ、投与前の血中凝固因子は100%であるが、このベクターを投与すると約2%にまで低下した。AAVベクターを用いることで、ゲノム編集ツールを肝臓に効率よくデリバリー出来ることが分かった。
また、この手法を用いて、血友病Bマウスの出血傾向を改善することができた。肝臓をターゲットとした遺伝子治療は、血友病だけなく他の肝疾患にも応用できるのではない かと考えてられている。欧米は殆どが脳死移植であり、日本では殆どが生体肝移植である。生体肝移植は、ドナーが必要である点が問題である。ドナーを危険に晒さねばならず、周術期合併症の問題がある。
肝移植は、先天性の胆管異常症だけでなく、様々な肝実質細胞の代謝異常症、例えば尿素回路不全やメチルマロン酸血症などにも適用になる場合がある。肝臓の遺伝子治療、さらにゲノム編集の医療応用がさらに進むと、このような肝移植の現状も、解決できるのではないかと期待されている。
AAVベクターを用いたゲノム編集の医療応用については、既に Sangamo社がZFNを用いた開発を進め、すでに1例のヒトのムコ多糖症に対して実施したことが報告されている。これが、ヒトでの最初のゲノム編集治療であるとされる。
上述の例とは別の倫理的な問題もある。例えば、遺伝子治療が高額であるために裕福な人々だけが利用できるのではないか、遺伝子治療を身長や知能、運動能力のような人間の基本的な特性を高めるために使用することが許されるのかなど、社会的な議論が必要である。
レギュラトリーサイエンスの対応
遺伝子治療のウイルスベクターとワクチンのウイルスベクター、もしくはリコンビナントタンパクも含め、レギュレーションから見ると、CMC のところまで全て一緒である。したがって、CMCにおける評価系については何ら支障となるような問題はないと思う。
一方、研究開発におけるレギュラトリーサイエンスの対応の一つとして、カルタヘナ法に対応するルールの見直しが必要かも知れない。
遺伝子治療製品をどのように治験に持っていくかの手続きを簡単に述べる。通常の薬剤の薬機法に加え、カルタヘナ法という、環境への生物多様性を確保するための法律があり、産業応用でベクターを開発するところが第二種、ヒトに投与するところが第一種となり、カ ルタヘナ法の第二種と第一種の 2 つの申請を経て、承認が得られる流れである。
PMDAからは開発初期からアドバイスがもらえる体制が組まれ、遺伝子治療製品は早期承認制度が適用になるため、PhaseⅠ/PhaseⅡで優れた結果が出れば、承認される可能性もある。
カルタヘナも含めた、研究開発における手続き的なステップを円滑に進められる仕組みが必要である。
社会実装における課題対応
- 医療技術評価の推進
- 有効性と安全性の評価法の検討
- ガイドラインの策定
- 社会・倫理・医学・経済の観点からの統合評価手法の開発
- 遺伝子治療に対する医療技術評価の実施
- 医療技術評価結果の医療政策への実装
- ゲノム編集の医療応用
- 生殖系細胞への遺伝子導入の有無の評価技術開発
- ベクター製造および一部の細胞医薬関連技術開発への支援
- 希少疾患関連事業で遺伝子治療関連の研究課題への支援
- 国際協調
あとがき
CAR-Tと呼ばれる遺伝子細胞治療について取り上げてみたい。CAR-Tは患者からT細胞を取得し、がん細胞を認識する遺伝子を導入したものを戻し、T細胞の免疫反応で腫瘍を破壊する方法である。Bリンパ球性白血病に対し、70~90%の非常に高い寛解率が得られており非常に注目されている治療法である。
ゲノム編集の CAR-Tへの応用も報告されている。現段階では患者から採取した細胞を改 変して自分に戻すが、T細胞がとれない患者もいる。CAR-Tを誰にでも使えるようにするために、TALENでT細胞受容体のTCRを破壊した。これにより、他人の T 細胞を治療に用いることが可能となるはずである。また、PD1 を破壊することで、より抗腫瘍効果を高めるような試みもなされている。
2017年にFDAによって承認されたNovartis社の製品は、1 回投与で日本円換算で約5,000万円の薬価がついている。 同社は治療効果に自信があるのか、効果が出なければ支払いは不要と言う形式で、薬価を設定している。
遺伝子治療の薬価については、既存の治療法と比較した薬価算定なのか、それとも根本的に製造コストが高いのかという議論がある。
薬価について企業と当局が議論する際、例えば血友病Bに対する既存治療法の5年分の薬価に算定しようとすると、約9,000万円という設定となってしまう。血友病Bへの遺伝子治療が10年もつとすれば、5年分の薬価で考えれば結果的に安くなるだろうと考えたが、製造コストは非常に高い。通常のトランスフェクション法の場合、2,000L規模で培養しなければならない。あとは利益をどのように考えて薬価を設定するかということになると思う。
薬価が非常に高額になる場合、理解を得るためにはNovartis社が始めたような成功報酬型にするしかないように思う。
成功報酬型に加え、治療効果が認められている期間は毎月薬価を払うような仕組みも考えられているようである。薬価を1回の静脈注射で設定するのか、月々の償還払いのようにするのか。議論が必要なところであろう。
製薬企業が正当な利益を確保しつつ、薬価が下がるような状況が将来的には実現してもらいたい。そうでなければ、より多くの患者が公平に治療を受ける機会を失してしまう危険がある。