はじめに
ICH-M7(潜在的発がんリスクを低減するための医薬品中 DNA 反応性(変異原性)不純物の評価及び管理)は、医薬品中の変異原性不純物の評価、管理に関するガイドラインである。
本ガイドラインは国内で2016年1月15日に発効され、日、米、EU三極での新たな医薬品中不純物の評価・管理に関する事業者義務が発生している。
本ガイドラインによると、DNA 反応性(変異原性)不純物とは、「変異原性、即ち遺伝情報に変化を引き起こす作用を有
し、ヒトに癌を引き起こす不純物」と定義されている。
DNA 反応性(変異原性)不純物は、低レベルの曝露でも変異を引き起こすリスクがあり、閾値レベルが低いとされている。このため、ICH Q3A/B のような既存の不純物の ICH ガイドラインでは補完できないレベルで管理する必要がある。ただし、その管理レベルは不明瞭なものが多いことから、管理上の指針となるものが求められてきたため本ガイドラインができたわけである。
このガイドラインの対象を医薬品に含まれるDNA反応性(変異原性)不純物とし、安全性評価に関する一般原則については、下記のように合意されている。
- これらの物質は低用量でもDNAに損傷を与え、突然変異を誘発する可能性があり、閾値の証拠が十分に確立されていないため、医薬品に不純物として存在する場合、たとえ低用量でもがんを引き起こす可能性は否定できない。
- このタイプのDNA反応性発がん物質は、一般に細菌を用いる復帰突然変異試験(Ames試験)で検出することができる。
- Ames試験陰性の遺伝毒性物質は概して閾値を持ち、不純物として存在する程度のレベルではヒトに対して発がんリスクを増加させるような脅威を与えるものではない。
- 遺伝毒性不純物の発がんリスクの低減にはAmes試験により変異原性の有無を立証し、管理に用いることが必要である。
- 定量的構造活性相関 (QSAR) による評価は、Ames陽性、もしくは陰性を示す化学構造を、これまでの立証された情報から予測するのに有用である。
ICH-M7に係るガイドラインの一般原則を要領よくまとめてくれている資料を見つけたので情報共有したい。
尚、ICH-Q3A/Q3Bガイドラインとの関係は下記のようになっているので、従来の不純物管理が重要であることに変わりはない。
ICH-M7における不純物管理の概要
ICH-M7ガイドラインにおける管理の考え方は下記のとおりである。
クラス分類
不純物の管理にあたり、まずクラス分類を行い、不純物それぞれの許容摂取量を決める必要がある。
不純物を分類するには、まずデータベース及び文献検索による変異原性の調査を実施し、対象となる不純物について、がん原性試験及びAmes試験により変異原性が認められた事例の有無を確認する。
分類に用いるデータが得られない場合には、コンピュータを用いて変異原性を引き起こす構造の有無を予測する。具体的には、in silico QSAR システムと呼ばれるデータベース解析システムを用いる。
尚、QSARは、Quantitative Structure-Activity Relationshipの略称で、定量的構造活性相関ともいう。
QSARでは互いに相補的な2種類のデータベースに基づき予測する。一つが知識ベースで、これは毒性のある化合物から予測するという方法である。もう一方が統計ベースで、これは各種毒性試験データやヒト副作用データを元に予測するという方法である。
これらの方法により、変異原性が懸念される構造(アラート構造)の有無を予測する。in silico QSAR システムによりアラート構造が示されない場合は、変異原性はないと結論付けることができる。
一方、アラート構造を有していた場合でも、構造と毒性について専門的な知識により検討し、当該化合物についてのリスクを判断することも可とされている。
また、Ames試験が陰性であれば、変異原性なしと結論付けることができる。
先述した文献検索やコンピュータを用いたアラート構造の予測、あるいは実際のAmes 試験の結果より、5つのクラスに分類される。
クラス 1~3 に分類される不純物は、 ICHM7 ガイドラインに基づき、許容摂取量を決定し、管理する必要がある。
クラス 4~5 に分類される不純物 は、既存の不純物の ICH Q3A/B ガイドラインにて管理する。
既知の変異原性発がん物質はクラス1に分類され、その化合物に特異的な許容限度値以下で管理する必要がある。
発がん性は不明であるが変異原性物質であることが既知である物質、こちらはクラス2に分類され、TTC(毒性学的懸念の閾値)に基づいた許容限度値を設定する必要がある。
原薬の構造とは関連しないアラート構造を有し、変異原性のデータがない物質はクラス3に該当する。
クラス3は、変異原性を有する可能性があるため、クラス2と同様、TTCに基づいた許容限度値にて管理することになるが、細菌を用いる復帰突然変異試験(Ames 試験)により変異原性が示されなかった場合は、クラス5に分類されることになり、通常の不純物としての管理が可能である。
逆に Ames 試験により変異原性が示された場合は、クラス3はクラス2に分類される。
このように、クラス3については、変異原性のデータによって、分類が変わることになる。
クラス4は、原薬又は原薬に類似した化合物と関連したアラート構造を持ち、その化合物が変異原性でないことが示されている場合、当該不純物も同様に変異原性はないと判断でき、ICHQ3A/B ガイドラインによる管理で良いとされている。
アラート構造を有さない、あるいはアラート構造を有するが、変異原性または、がん原性がないことが十分に示されている化合物は、クラス5となり、ICHQ3A/B ガイドラインによる管理で良いとされている。
ICH-M7における不純物のクラス分類と管理方法
潜在的な変異原生及びがん原生に関する不純物の分類及び管理措置
許容摂取量
不純物の許容1日摂取量
TTC
先述のクラス分けによりクラス 2、3 と分類された場合、TTC の考え方に基づき、許容限度値を設定することになる。
TTC は、Thresholds of Toxicological Concern、即ち毒性学的懸念の閾値を示す。毒性学的懸念の閾値とは、それ以下では、ヒトの健康にリスクを与えないであろう1日許容摂取量のことであり、医薬品においては、ヒトの生涯の発がんリスクが10万分の1を超えない「実質安全量」を推定した値である。
具体的な数値として、毒性量の明らかなものを除いて、1.5μg/ day以下に抑制することが、ガイドラインに示されている。
変異原性がある、あるいは変異原性が疑われるが許容限度値に関するデータがない場合、この TTC の考え方が適用される。
ただし、アフラトキシン様化合物やニトロソ化合物等、アラート構造により強力な発がん性物質と考えられる化合物は、Cohort of concern(COC)と分類され、TTC による管理は不適切となり、別管理となる。
TTC として 1.5 μg/day という管理が必要であるが、投与期間に応じて、この規制値はある程度緩和される。個々の不純物は、10 年以上一生涯までは 1.5μg/day が許容される1日摂取量となるが、1年超10 年までで10 μg/day、1ヵ月超12ヶ月までは 20 μg/day、1ヶ月以下では120 μg/day まで許容される。
更に、14 日以下の第Ⅰ相臨床試験の治験薬については、クラス1、2 や COC 以外の不純物は、非変異原性不純物として扱って良いとされている。
個々の許容限度値を求める具体例として、例えば用量100mgの製剤を10年超一生涯まで1日1錠投与する場合、1日のDNA反応性(変異原性)不純物の摂取量の上限は1.5μg/dayであるため、1.5÷0.1g/dayで15μg/g即ち、15ppmが不純物量の許容限度値となる。
上記は個々の不純物についての考え方であるが、複数の DNA反応性(変異原性)不純物について管理する場合、その総量の規制値についての考え方が ICH-M7ガイドラインに示されている。
1ヵ月以下の投与期間では,個々の不純物と同じ120μg/dayであるが、1ヵ月以上の投与期間では、おおよそ個々の不純物より 3倍程度の値を総量とするよう示されている。許容限度値については、個々の規制値と同様、1日摂取量の上限による計算で、不純物量の上限を求めることになる。
不純物のクラス分類の方法
QSAR モデルによる変異原性予測及びクラス分類
ICH-M7ガイドラインにおける評価において、発がん性試験及びAmes試験の情報がない場合、互いに相補的な2種類のQSAR(知識ベース、統計ベース)による変異原性予測を用いることが推奨されている。
これらの予測結果において警告構造(変異原性発現に寄与する部分構造)がないことが示されれば、その不純物は非変異原性不純物とすることができ、更なる試験を実施する必要がない。
複数のモデルを用いた際に予測結果が異なる場合や、予測ができない場合などには、専門知識を用いたレビューを行う。これによりQSARの予測結果が陽性であっても、総合的な判断に基づき陰性の評価結果となる場合がある。
QSARツールはバージョンアップにより予測結果が変わる場合があるため、最新のバージョンで結果を確認することが推奨されている。
ICH-M7対応QSARツール
Lhasa社in silico定性毒性予測ソフトウェア(知識ベース):Derek Nexus
知識ベースの毒性予測ソフトウェア。 多くの毒性試験データ・論文・毒性学の専門書などをデータソースとして、構造活性相関(SAR: Structure Activity Relationship)の経験則をルール化した知識ベースに基づき、定性的な毒性予測を行う。
Lhasa社in silico定量毒性予測ソフトウェア(統計ベース):Sarah Nexus
統計ベースの毒性(変異原性)予測ソフトウェア。モデル構築に使用されているトレーニングデータセットに関する詳細情報を確認できることが特徴。またDerek Nexusと併用することで、ICH M7のエキスパートレビューに役立つ更なる情報を提示する。
Leadscope社統計ベースQSAR(構造活性相関)毒性予測ソフトウェア(統計ベース):Leadscope Model Applier
Leadscope社とFDAによって共同開発された統計ベースのQSAR(構造活性相関)毒性予測ソフトウェア。各種毒性試験データやヒト副作用データを元に構築されたQSARモデルを基に、統計的に毒性発現確率を算出することにより化合物の毒性を予測する。
その他のICH-M7対応ツール
Lhasa社毒性試験データベース:
Vitic
様々なデータソースから約23,000化合物の毒性試験データを収録したデータベース。専門化によりキューレーションされた高品質なデータで、化学構造(類似構造、部分構造)、毒性エンドポイント、毒性試験の種類、生物種、試験結果(positive/negative)など様々な検索条件から目的のデータを探し出し、統一された見易い形式で閲覧・レポート出力することが可能。
in silico代謝物予測ソフトウェア:
Meteor Nexus
化合物の構造からその代謝反応および代謝産物を予測する知識ベースの予測ソフトウェア。多くの知見から得られる化合物の部分構造と代謝反応(酸化、還元、加水分解、抱合)の経験則を定義した知識ベースにより、定性的代謝予測を行う。また酸化反応に限り、知識ベース以外に理論計算ベース(理論上の活性化エネルギーの算出)のアルゴリズムによる予測を行うことができる。
in silico分解生成物予測ソフトウェア:
Zeneth
化合物の構造からその分解生成物を予測する知識ベースの予測ソフトウェア。多くの知見から得られる化合物の部分構造と各種分解環境(温度、酸或いはアルカリ存在下、ラジカル共存下、光条件下等)の経験則を定義した知識ベースにより、定性的分解予測を行います。予測結果では、分解生成物の構造以外に、分解経路、適応された知識及びその知識に関連する既知の分解反応データも参照することができる。
Purge Factor算出ツール:
Mirabilis
API合成過程に推定される変異原性不純物のPurge Factorを計算するエキスパートシステム。API合成スキームを作成し、各不純物の各工程でのPurge Factorおよび最終的なPurge Factorを算出することができる。
Leadscope社毒性試験データベース:
Leadscope Toxicity Database
詳細な毒性情報が付随した163,000 以上の化合物を収録したデータベースです。Leadscopeを用いて、特定の毒性を持つ類似化合物を迅速かつ網羅的に探索することができる。また、これらのデータを解析することによって、新規化合物の毒性に対する考察を行うことができる。
既存情報調査(変異原性及び発がん性)
ICH M7対応では、既存の情報がある場合は、QSARやAmes試験を実施せずに不純物のクラス分類が可能な場合がある。
その手段としては、国際機関等の評価書、学術論文、書籍、データベース等の情報源を調査し、Ames試験データ、発がん性データの情報収集、変異原性及び発がん性評価を実施し、不純物のクラス判定を実施する。
管理戦略
製造工程での管理戦略
規制値を実際の製造工程のどの時点で管理すべきかについては非常に重要なポイントである。
最終製品での分析によって管理する場合は、規格試験の項目として管理することになる。
但し、パイロットスケール連続6バッチ、あるいは実生産スケール連続3バッチについて分析し、不純物の濃度が許容限度の 30%未満が示された場合は、DNA 反応性(変異原性)不純物が許容限度値以上となるリスクは低いとみなすことができ、スキップ試験の対象となる。
原料や中間体等、上流工程での分析の場合、規格試験あるいは工程内試験として実施するが、原薬における許容限度値と同じかそれ以下が判定基準となっている。
但し、ラボスケールの添加実験において、許容限度の30%未満であることを示すことができれば、原薬の時よりも高い許容限度値を判定基準としても良いとされている。
また、許容限度値よりも低くなることが説明できるのであれば、分析不要と判断することができるとされている。
ICH M7(R1) 化合物特異的な許容摂取量の算出
発がん性試験の情報がある場合、化合物特異的な許容摂取量(Acceptable Intake; AI)の算出をする。
AIの算出によって管理濃度を毒性学的懸念の閾値 (Thresholds of Toxicological Concern;TTC) より高い値に設定できる場合がある。
治験に必要なICH-M7に係る文書
日本で治験を実施するためにはPMDAに治験計画届書を提出する必要があるが、その添付資料として「DNA 反応性(変異原性)不純物の評価及び管理に関する資料」を提出する必要がある。
これがいわゆるICH-M7に係る文書に相当するが、その要求レベルが臨床開発のステージがあがるにつれて高まり、記載内容もより整備されたものが要求されることになる。
開発段階の各ステージでの要求レベル
不純物の変異原性に関する評価結果の記載例
あとがき
ICH-M7 ガイドラインの発効により、医薬品を開発する上で、DNA反応性(変異原性)不純物の管理の必要性を確認していくこととなった。開発における負荷が増加するが、治験をより安全に進めていくためのものであるので遵守しなければならない。
QSARモデルによる変異原性予測及びクラス分類を外部委託する製薬会社もあるが、日本でもその業務を専門に実施してくる会社が存在することを知った。それは一般社団法人化学物質評価研究機構(通称、CERI)である。QSARモデルによる変異原性予測及びクラス分類の外部委託の際には利用をお勧めしたい。