はじめに
私が製剤技術研究者として働き始めた頃は、高血圧症の治療薬、いわゆる降圧薬の開発が全盛期を迎えており、多くの製薬企業が降圧薬の新薬開発にしのぎを削っていた。新薬が出れば、従来薬の売上高が減少するという、まさに売上競争にしのぎを削っていた時代がある。
製薬企業にとって、各製品がどのステージにあるかを正確に把握することは、投資判断やマーケティング戦略を練るうえで欠かせない。売上高の推移を「見える化」し、医薬品のライフサイクルの各フェーズを的確に捉えることで、次の一手を打つタイミングを逃さないようにする必要がある。
ここで言うところの「医薬品のライフサイクル」とは、上市から製造中止までの売上推移を指し、導入期・成長期・成熟期・衰退期というフェーズに分けて分析される。
売上高の推移は、製品の市場での位置づけや競合状況、特許の有無などを反映していて、ライフサイクルマネジメント(LCM)戦略の判断材料として非常に重要である。
LCMでは、売上の最大化と製品寿命の延長を目的に、適応追加、剤形変更、後継品開発、特許戦略などが活用されることが多い。
本稿では、売上高の推移から医薬品のライフサイクルについて考えてみたい。
ライフサイクルの全体像
ライフサイクルは、導入期・成長期・成熟期・衰退期の4ステージに分かれている。
- 導入期(売上抑制・認知獲得):
- 商品化直後
- 市場認知や承認取得コストが膨らみ、売上はまだ低水準
- 成長期(急伸フェーズ):
- 医師・患者への認知が高まり、売上が急激に上昇
- 競合やジェネリックの登場前の「稼ぎどき」
- 成熟期(安定~初期衰退):
- 売上がピークに達し、横ばいまたは緩やかな増減に移行
- 新規適応拡大や価格調整で維持を図る
- 衰退期(構造的減少):
- 特許切れや後続品の台頭で売上が下がり始める
- 撤退判断やジェネリック対策が必要
フェーズ別売上推移の読み解きポイント
1. 導入期(売上抑制・認知獲得)
- 売上曲線:緩やかに立ち上がる
- KPI:MR訪問回数、メディカルシンポジウム参加数
- 攻めの施策:エビデンス発信、新規適応の探索
2. 成長期(急伸フェーズ)
- 売上曲線:ほぼ指数関数的な上昇
- KPI:市場シェア、処方件数の月次伸び率
- 攻めの施策:市場浸透率向上、プレミアム価格維持
3. 成熟期(安定~初期衰退)
- 売上曲線:ピークアウト → 横ばい or ゆるやかな減退
- KPI:コホート別リテンション率、新規参入品のシェア推移
- 攻めの施策:ライフサイクル延長(新適応、製剤改良)、提携・アライアンス
4. 衰退期(構造的減少)
- 売上曲線:急勾配の下降 or 緩やかな下降
- KPI:売上減少率、ジェネリック依存度
- 攻めの施策:撤退タイミングの判断、在庫最適化、後発薬向けプロモーション
LCM戦略とは?
LCM(ライフサイクルマネジメント)戦略とは、医薬品の特許期間や市場価値を最大限に活かし、製品寿命を延ばすための工夫や展開のことを指す。
新薬は特許が切れるとジェネリック(後発薬)との競争が始まるから、製薬会社は製剤改良・新適応追加・新剤形開発などでブランド価値を維持しようとする。
LCM戦略の実例:アダラート®の場合
アダラート®(ニフェジピン;nifedipine)は、バイエル社(ドイツ)によって開発されたカルシウム拮抗薬(Ca拮抗薬)であり、高血圧症、狭心症、レイノー病などの治療薬として使用されている。
アダラート®(Adalat®)は、即効型から持続型への製剤改良を重ねることで、患者の安全性と利便性を高め、長期にわたって市場競争力を維持してきた。これは、製剤技術を軸としたLCM戦略の成功例として、製薬業界で広く認識されている。
① 即効性から持続性へ:製剤改良の連続
🔹 初期:アダラート®カプセル(即効型ソフトカプセル)
- 作用発現が速く、急性期の血圧コントロールに有効
- 血圧の急激な低下や反射性頻脈などの副作用が問題に
🔹 改良①:アダラート®L(徐放錠)
- 持続性を高めた製剤で、1日2回投与に
- 血中濃度の変動を抑え、副作用を軽減
🔹 改良②:アダラート®CR(Controlled Release)
- 1日1回投与が可能なCR製剤に進化!
- 患者の服薬アドヒアランスが大幅に向上し、慢性疾患治療に最適化された
この製剤改良の流れは、LCM戦略の王道中の王道!
② 適応拡大:より広い患者層へ
- 当初は狭心症が主な適応だったが、のちに高血圧症にも適応拡大
- 一部の国では、妊娠高血圧症候群(妊娠中毒症)やレイノー病にも使用されている
③ 剤形の多様化とブランド維持
- カプセル、徐放錠、CR錠など、患者ニーズに応じた剤形展開を実施
- 後発品が登場しても、CR製剤の利便性や信頼性でブランド価値を維持!
④ グローバル展開と地域戦略
- アダラート®は世界中で使用されているグローバルブランド
- 地域ごとに異なる剤形や用量を展開し、各国の医療制度や処方習慣に適応してきた
アダラート®のように、製剤の工夫だけで薬の価値を45年以上も維持できたことは、“製剤進化型LCM”の金字塔としてもっと評価されても良いのかも知れない。
LCM戦略の実例:リピトール®の場合
リピトール®(アトルバスタチンカルシウム;Atorvastatin calcium)は、ワーナー・ランバート社(のちにファイザーが買収)によって開発されたHMG-CoA還元酵素阻害薬(スタチン系)である。この薬の作用機序は、肝臓でのコレステロール合成を抑制し、LDLコレステロールを低下させることである。
リピトール®(Lipitol®)は、強力なエビデンス構築、高用量戦略、適応拡大、剤形多様化、そしてグローバル展開を通じて、スタチン市場で圧倒的な地位を築いた。これは、製品価値を最大限に引き出すLCM戦略の世界的成功例であり、“世界戦略型LCM”の象徴的な事例でもある。
① 高用量戦略と強力なエビデンス構築
- 他のスタチンよりも高用量(最大80mg)で強力なLDL-C低下作用を実現
- TNT試験、IDEAL試験、ASCOT-LLA試験などの大規模臨床試験で、心血管イベント抑制効果を証明
「最も強力なスタチン」というポジショニングを確立し、医師の信頼を獲得!
② 適応拡大と予防領域への展開
- 脂質異常症の治療に加えて、以下のような一次予防や二次予防にも適応を拡大:
- 冠動脈疾患の発症予防
- 心筋梗塞・脳卒中の再発予防
- 糖尿病患者の心血管リスク低減
「治療薬」から「予防薬」へとポジショニングを広げ、処方機会を最大化!
③ 剤形と用量の多様化
- 10mg・20mg・40mg・80mg錠を展開し、患者のリスクに応じた柔軟な用量調整を可能に
- 一部地域では口腔内崩壊錠(OD錠)や懸濁用製剤も開発され、高齢者や嚥下困難者にも対応
④ グローバル展開とブランド戦略
- 世界100カ国以上で販売され、2000年代には世界売上No.1医薬品に君臨
- 地域ごとに販売提携や価格戦略を最適化し、各国の医療制度に適応
⑤ 特許切れ後のブランド維持と後継戦略
- 2011年に特許が切れたが、ブランド名「リピトール」の信頼性と処方実績により、一定の市場シェアを維持
- ファイザー社は後継品としての配合剤(例:カデュエット®:アトルバスタチン+アムロジピン)を展開し、LCMを継続
リピトール®の事例、エビデンスとマーケティングの両輪で成功したモデルケースとして、製薬業界でも語り継がれている。
LCM戦略の実例:ノルバスク®の場合
ノルバスク®(アムロジピンベシル酸塩;Amlodipine besylate)は、ファイザー社(米国)によって開発されたジヒドロピリジン系カルシウム拮抗薬(Ca拮抗薬)である。この薬の作用機序は、血管平滑筋のCa²⁺流入を抑制し、血管拡張によって血圧を下げることである。
ノルバスク®(Norvasc®)は、製剤改良・用量展開・配合剤開発・適応拡大・グローバル展開を通じて、長期にわたり高血圧治療の中心的存在であり続けた。これは、慢性疾患治療薬におけるLCM戦略の模範的成功例である。
① 剤形と用量の多様化
- 2.5mg・5mg・10mg錠を展開し、高齢者や軽症〜重症高血圧まで幅広く対応
- 口腔内崩壊錠(OD錠)も開発され、嚥下困難な患者への服薬支援を実現
高血圧は長期治療が基本だから、服薬しやすさ=継続率の向上に直結!
② 配合剤の開発:多剤併用時代への対応
アムロジピンは他の降圧薬、特にARBとの相性が良く、配合剤の中心成分として大活躍!
また、ノルバスク®(アムロジピン)とリピトール®(アトルバスタチン)の配合剤は、高血圧症と脂質異常症を同時に管理したい患者向けに開発された(カデュエット®配合錠;Caduet®)。
ノルバスク®とリピトール®という2大ブロックバスターを組み合わせたカデュエット®は、生活習慣病の複合的な管理を1錠で実現する配合剤として登場!これは、患者中心の治療と服薬継続を支えるLCM戦略の好例とされる。
このような複数の配合剤の展開で、多剤併用の煩雑さを解消し、服薬アドヒアランスを向上させた!
③ 適応拡大とエビデンス構築
- 高血圧症に加えて、狭心症・心筋梗塞後の再発予防にも適応
- ALLHAT試験、ASCOT-BPLA試験などで、心血管イベント抑制効果が示され、第一選択薬としての地位を確立
④ グローバル展開とブランド維持
- 世界中で「Norvasc®」ブランドとして販売され、スタチンのリピトール®と並ぶファイザーの主力製品に
- 特許切れ後も、配合剤やOD錠などの製剤工夫でブランド価値を維持
このノルバスク®の事例は、シンプルな薬でも、戦略次第で長く愛されることを教えてくれる。
LCM戦略の実例:アリセプト®の場合
アリセプト®(ドネペジル)は、エーザイ(日本)とファイザー(米国)によって開発された中枢性アセチルコリンエステラーゼ阻害薬(AChE阻害)であり、アルツハイマー型認知症の症状進行抑制(軽度〜中等度)に使用された。
アリセプト®は、適応拡大・剤形改良・高用量製剤の追加など多角的なLCM戦略を通じて、特許期間中の市場価値を最大化し、特許切れ後もブランド力を維持した。これは、日本発の医薬品が世界市場で長期的に成功した好例であり、製薬業界におけるLCM戦略の模範とされている。
① 適応拡大(新たな患者層への展開)
- 軽度〜中等度のアルツハイマー型認知症 → 重度アルツハイマー型認知症へ適応拡大(2006年)
- レビー小体型認知症(DLB)への適応追加(日本国内、2014年)
この適応拡大によって、より幅広い患者層に使用可能となり、処方機会が大幅に拡大した。
② 剤形の多様化(服薬アドヒアランスの向上)
- 錠剤(5mg/10mg) → 口腔内崩壊錠(OD錠)の開発
- 嚥下困難な高齢者でも服用しやすくなった
- ドネペジル塩酸塩細粒(小児や嚥下困難者向け)も登場
剤形の工夫で、患者のQOL(生活の質)と服薬継続率を向上した。
③ 高用量製剤の追加(治療効果の最適化)
- 10mg錠に加えて、23mg徐放錠(海外)を開発
- 重度患者への効果増強を狙った用量設計
- ただし、副作用リスクも議論あり
④ 地域別戦略と共同開発
- 米国ではファイザーと共同販売し、グローバル展開を加速
- 日本ではエーザイが主導し、国内ニーズに合わせた剤形や適応を展開
この成功事例は、製薬マーケティングや知財戦略の教材としてもよく取り上げられている。
LCM戦略の実例:アクテムラ®の場合
アクテムラ®(トシリズマブ;Tocilizumab)は、中外製薬(日本)とロシュ(スイス)によって開発されたヒト化抗IL-6受容体モノクローナル抗体であり、関節リウマチ(RA)の治療に使用されている。
アクテムラ®は、IL-6シグナルをブロックすることで炎症を抑える、世界初のIL-6受容体阻害薬として2005年に日本で承認されたバイオ医薬品(抗体医薬)である。
アクテムラ®は、IL-6受容体阻害という独自の作用機序を活かし、関節リウマチから感染症まで幅広い疾患に適応を拡大した。さらに、投与形態の多様化やパンデミック対応を通じて、長期的な市場価値を維持してきた。これは、バイオ医薬品におけるLCM戦略の模範的成功例であると言えよう。
① 適応拡大:炎症性疾患から感染症まで
関節リウマチ(RA) → 多関節型若年性特発性関節炎(pJIA)→ 巨細胞性動脈炎(GCA) → 全身性若年性特発性関節炎(sJIA) → サイトカイン放出症候群(CRS) → COVID-19による重症肺炎
IL-6が関与するさまざまな疾患に対して、次々と適応を拡大!
② 投与形態の多様化:患者の利便性を追求
- 点滴静注(IV)製剤(初期)
- → 皮下注(SC)製剤の追加(自己注射が可能に!)
- → オートインジェクターやプレフィルドシリンジの導入で、在宅治療にも対応
これら剤形追加により、通院負担の軽減やアドヒアランス向上が実現!
③ パンデミック対応:COVID-19治療薬としての再評価
- COVID-19重症患者におけるサイトカインストーム(IL-6過剰)に対して、アクテムラが有効である可能性が注目された
- 世界中で臨床試験が行われ、一部の国では緊急使用承認や正式承認がなされた
感染症領域へのリポジショニング的展開は、LCM戦略としても画期的!
④ グローバル展開と共同開発
- 中外製薬が創製 → ロシュがグローバル展開を担当
- 各国の規制や医療ニーズに応じて、適応・剤形・価格戦略を最適化
この成功事例は、日本発のバイオ医薬品が世界で成功するための戦略モデルとしても重要であり、LCM戦略を考える上で大いに参考になる。
LCM戦略の実例:アクトス®の場合
アクトス®(ピオグリタゾン;Pioglitazone)は、武田薬品工業(日本)によって開発されたチアゾリジン系経口血糖降下薬(インスリン抵抗性改善薬)である。この薬の作用機序は、PPARγ(ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体γ)を活性化し、インスリン感受性を改善するというものである。
アクトス®は、2型糖尿病治療薬としての確固たる地位を築いた後、配合剤開発や製剤改良、適応拡大、グローバル展開を通じて長期的な市場価値を維持した。これは、日本発の医薬品が世界で成功するためのLCM戦略:“多面的展開型LCM”の好例である。
① 適応拡大:糖尿病から脂肪肝、がん予防まで
- 2型糖尿病が主適応だが、研究段階では以下の疾患にも応用が検討された:
- 非アルコール性脂肪性肝炎(NASH)
- 多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)
- 膀胱がん再発予防(日本での臨床研究)
- アルツハイマー型認知症の進行抑制(探索的研究)
PPARγの多彩な生理作用を活かし、代謝・炎症・がん領域への展開が模索された!
② 配合剤の開発:治療の柔軟性と利便性を向上
- メトホルミンとの配合剤(メタクト®)
- アログリプチンとの配合剤(リオベル®)
- グリメピリドとの配合剤(ソニアス®)
複数の作用機序を組み合わせることで、血糖コントロールの最適化と服薬アドヒアランスの向上を実現!
③ 製剤改良と用量展開
- 15mg・30mg・45mg錠を用意し、患者の状態に応じた柔軟な用量調整を可能に
- OD錠(口腔内崩壊錠)の開発により、嚥下困難な高齢患者にも対応
④ グローバル展開と特許戦略
- アクトス®は米国FDAでも承認され、世界100カ国以上で販売された武田薬品の主力製品
- 特許切れ後も、配合剤や製剤工夫によってブランド価値を維持し、LCM戦略で長期的な収益を確保した
安全性への対応もLCMの一環
- 一時期、膀胱がんリスクの可能性が指摘され、使用制限や注意喚起が行われた
- 武田薬品は大規模疫学研究を実施し、安全性評価を継続しながら、適正使用の徹底と情報提供を通じて信頼回復を図った
リスク対応もLCMの重要な要素!
アクトス®のLCM戦略の成功事例には、日本の製薬企業がグローバル市場で戦うための知恵と工夫が詰まっている。
LCM戦略の実例:タミフル®の場合
タミフル®(オセルタミビルリン酸塩;Oseltamivir phosphate)は、ギリアド・サイエンシズによって創製・開発され、中外製薬/ロシュによって販売されているノイラミニダーゼ阻害薬(抗インフルエンザウイルス薬)である。この薬の作用機序は、インフルエンザウイルスのノイラミニダーゼを阻害し、ウイルスの放出と拡散を防ぐというものである。
タミフル®は、インフルエンザ治療薬としての地位を確立した後、予防適応の追加や小児用製剤の開発、パンデミック対応による国家備蓄戦略などを通じて、長期的な市場価値を維持した。これは、医薬品のLCM戦略が公衆衛生と連携することで、社会的意義と経済的成果を両立できることを示した好例である。
① 適応拡大:治療から予防へ
- 当初はインフルエンザ治療薬として承認されたが、のちに:
- インフルエンザの予防投与(曝露後予防)にも適応拡大
- 1歳以上の小児への使用も承認され、小児科領域での使用が拡大
これにより、季節性インフルエンザ流行期の処方機会が大幅に増加!
② 剤形の多様化:年齢・状態に応じた選択肢
- カプセル剤(成人向け)
- ドライシロップ製剤(小児向け)
- 苦味を抑えたフレーバー付き
- 服薬アドヒアランスが向上!
小児患者の服薬しやすさを考慮した製剤工夫は、LCMの重要ポイント!
③ パンデミック対応と国家備蓄戦略
- 2009年の新型インフルエンザ(H1N1)パンデミック時、世界的に需要が急増
- 日本では、政府による大量備蓄が進められ、安定供給体制が構築された
- この備蓄需要が、特許期間中の売上を大きく押し上げる要因となった
公衆衛生政策と連動したLCM戦略の好例と言える!
④ ジェネリック参入後のブランド維持
- 特許切れ後も、信頼性・実績・製剤の使いやすさを武器に、一定の市場シェアを維持
- 後発品との差別化として、製剤の安定性や味の工夫などが評価されている
このタミフル®の事例は、感染症領域におけるLCMの柔軟性とスピード感がよくわかるLCMの見本となっている。
LCM戦略の実例:ジプレキサ®の場合
ジプレキサ®(オランザピン;Olanzapine)は、イーライリリー社(Eli Lilly;米国)によって開発された非定型抗精神病薬(セロトニン・ドパミン拮抗薬)である。この薬の作用機序は、主にドパミンD₂受容体とセロトニン5-HT₂A受容体を遮断し、陽性・陰性症状の両方に効果を発揮する。
ジプレキサ®は、統合失調症治療薬としての地位を確立した後、剤形の多様化や双極性障害への適応拡大、さらには配合剤の開発を通じて、長期的な市場価値を維持した。これは、精神科領域におけるLCM戦略の成功例として高く評価されている。
① 剤形の多様化:服薬アドヒアランスの向上
- ジプレキサ錠(標準錠剤)
- 統合失調症の急性期・維持期に使用
- ジプレキサザイディス®(口腔内崩壊錠:OD錠)
- 水なしで服用可能!
- 服薬拒否や嚥下困難な患者にも対応
- アドヒアランス向上に貢献
- ジプレキサ筋注製剤(ジプレキサ筋注用)
- 急性の興奮・攻撃性に対する即効性のある治療手段として開発
精神科領域では特に重要な服薬継続を支えるため多剤形を展開!
② 適応拡大:双極性障害への展開
気分障害領域への展開で、より広い患者層に対応!
③ 配合剤の開発(海外):Symbyax®
- オランザピン+フルオキセチンの配合剤(米国などで承認) → 双極性うつ病や治療抵抗性うつ病に使用
異なる薬効群の組み合わせによる新たな治療選択肢の創出!
④ 特許戦略とブランド維持
- 特許期間中に多剤形・多適応・配合剤を展開し、売上の最大化と市場シェアの確保に成功
- 特許切れ後も、ザイディス®などの製剤技術で一定のブランド価値を維持
ジプレキサ®の事例は、精神疾患治療における“継続性”と“柔軟性”の重要性をよく示している。
LCM戦略の実例:ミカルディス®の場合
ミカルディス®(テルミサルタン;Telmisartan)は、ベーリンガーインゲルハイム社(ドイツ)によって開発されたARB(アンジオテンシンII受容体拮抗薬)である。この薬の作用機序は、RAA系を抑制し、血管収縮とナトリウム保持を防ぐことで血圧を下げることである。
ミカルディス®(Micardis®)は、製剤技術による差別化を起点に、配合剤の多様化、適応拡大、グローバル展開を通じて、ARB市場で長期的な競争力を維持した。これは、製品価値を多層的に高めるLCM戦略の成功例である。
① 製剤技術の工夫:吸収性と安定性の両立
- テルミサルタンは水に溶けにくい難溶性化合物であるが、独自の製剤技術によって高いバイオアベイラビリティを実現!
- これにより、1日1回投与で24時間効果が持続するという利便性が生まれた
製剤技術そのものが、差別化とブランド価値の源泉に!
② 配合剤の展開:多様な患者ニーズに対応
- ミコンビ®(テルミサルタン+ヒドロクロロチアジド)
- 利尿薬との併用で、より強力な降圧効果
- ミカムロ®(テルミサルタン+アムロジピン)
- Ca拮抗薬との併用で、相乗的な降圧作用と末梢血管拡張
- ミカトリオ®(テルミサルタン++アムロジピン+ヒドロクロロチアジド)
- Ca拮抗薬+利尿薬との三剤併用で最強な降圧効果を期待
配合剤の多様化で、治療の柔軟性と服薬アドヒアランスを大幅に向上!
③ 適応拡大とエビデンス構築
- 高血圧症だけでなく、心血管イベントの再発抑制や糖尿病性腎症の進行抑制など、高リスク患者への有用性を示す大規模臨床試験(ONTARGET試験など)を実施
- これにより、単なる降圧薬から“心血管保護薬”へとポジショニングを拡張!
④ グローバル展開と地域最適化
- 世界100カ国以上で販売
- 地域ごとに配合剤や剤形を最適化
- 日本では国内ニーズに合わせた製品展開を実施
ミカルディス®の事例は、高血圧治療薬、特にARBの中でも特に戦略的に展開されたモデルケースとなっている。
LCM戦略の実例:シプロキサン®の場合
シプロキサン®(シプロフロキサシン;Ciprofloxacin)は、バイエル社(ドイツ)によって開発されたニューキノロン系抗菌薬である。この薬の作用機序は、DNAジャイレースとトポイソメラーゼIVを阻害し、細菌のDNA複製を妨げることである。
シプロキサン®(Ciproxan®)は、内服薬・注射剤・点眼薬・点耳薬といった多様な剤形展開と、幅広い感染症への適応拡大を通じて、長期にわたり世界中で使用されてきた。これは、抗菌薬におけるLCM戦略の典型的な成功例である。
① 剤形の多様化:全身から局所までカバー!
- 内服薬(錠剤・懸濁液製剤・細粒剤):
- 尿路感染症、呼吸器感染症などに広く使用
- Modified Release Tablet(Cipro® XR錠)
- 尿路感染症に使用、米国で販売
- 1日1回投与製剤
- 注射剤(IV):
- 重症感染症や入院患者向け
- 点眼薬・点耳薬:
- 結膜炎、中耳炎、外耳炎などの局所感染に対応
多様な剤形展開により、幅広い感染症と患者層に対応!
② 適応拡大:感染症の“万能選手”へ
- 当初は尿路感染症や呼吸器感染症が中心だったが、適応症を段階的に拡大:
- 消化管感染症(腸チフス、赤痢など)
- 性感染症(淋菌感染症)
- 炭疽菌感染(バイオテロ対策)
- 骨髄炎や皮膚軟部組織感染症
広範囲な抗菌スペクトルを活かして、適応症を段階的に拡大!
③ 小児・高齢者向けの工夫
- 懸濁液製剤(用時調整)や細粒剤を開発
- 小児や嚥下困難な患者にも対応
- 用量設計や投与間隔の調整により、高齢者や腎機能低下患者にも安全に使用できるよう工夫
④ グローバル展開とジェネリック戦略
- 世界中で使用され、WHOのエッセンシャル・メディスンにも収載
- 特許切れ後は、多くのジェネリック品が登場したが、点眼薬や点耳薬などの局所製剤でブランド価値を維持
シプロキサン®のLCM事例は“多剤形・多適応型LCM”の好例であり、抗菌薬の“汎用性”をどう活かすかという視点からも学びが多いはずである。
データ駆動型ライフサイクル管理のヒント
- リアルワールドデータ(RWD)活用
- 患者レジストリや保険請求データで、実処方動向をリアルタイム把握
- AI予測モデル
- 売上推移だけでなく、競合動向やガバナンス変更を取り込んだシナリオ分析
- グローバルポートフォリオ視点
- 地域別ライフサイクルのズレを加味し、適切な価格戦略や展開時期を検討
- ステークホルダー連携
- 開発部門・営業部門・マーケティング部門でライフサイクルマップを共通化し、一体運用
あとがき
売上高の推移は、医薬品ライフサイクルを見極めるための“羅針盤”である。なぜなら新薬の導入期、成長期、成熟期、そして特許切れ後の衰退期まで、売上の動きはそのフェーズを如実に映し出すからである。
しかしながら、ただ数字を見るだけでなく、なぜその推移を描いたのか、常にエビデンス(臨床試験の結果やガイドラインの変更)と市場インサイト(医師の処方動向、患者ニーズ、政策の変化など)に立ち返ることが重要である。
医薬品のライフサイクルマネジメント(LCM)としては、まずは特許戦略とジェネリック対応の最適化が必要となる。ポートフォリオ全体視点でのリスク分散も必要であると思う。たとえば:
- 特許の延長:
- 製造プロセスや新たな剤形、投与経路の特許を取得して、製品寿命を延ばす
- スイッチOTC化:
- 特許切れ後に一般用医薬品として展開することで、新たな市場を開拓
- ジェネリック対策:
- ブランドロイヤルティの強化や、オリジナルメーカーによるAG(オーソライズド・ジェネリック)の投入などで、シェアの維持を図る
- ポートフォリオ全体でのリスク分散
- 一つの製品に依存しすぎると、その製品の特許切れや市場変動で大きな打撃を受ける
- 複数の領域や作用機序にまたがる製品群を持つことで、安定した収益基盤を築ける
本稿で取り上げた医薬品のLCMの成功事例を俯瞰してみると、LCMにおいては適応拡大と剤形追加が2本柱であることが分かる。しかし、医薬品ごとにそれぞれの特徴があり、十人十色の様相を示しているのが興味深い。LCMは、テンプレートではなく、その薬の特性・市場環境・患者ニーズに応じてカスタマイズされる“アート”と言えるかも知れない。