はじめに
新薬開発には、平均10年以上の歳月と数千億円規模のコストがかかると言われている。そんな中、近年注目を集めているのがドラッグリポジショニング(Drug Repositioning;DR)というアプローチである。 これは、既存薬を新たな疾患に応用することで、開発期間やコストを大幅に削減しつつ、医療の可能性を広げる手法である。
しかし、DRは決して“近道”ではない。成功に至るまでには、いくつもの壁を乗り越える必要がある。本稿では、DRを成功に導くための課題と戦略について取り上げたい。
| <目次> はじめに リポジショニングが注目される理由 リポジショニングの主な課題 1. 科学的エビデンスの限界 2. 知的財産権とインセンティブの不在 3. 規制・承認プロセスの壁 4. 薬剤特性のばらつき DR成功のための戦略とは? 1. データ駆動型アプローチの活用 2. 公的機関・アカデミアとの連携 3. 適応外使用からの橋渡し あとがき |
リポジショニングが注目される理由
今、なぜリポジショニングが注目されているのでしょうか?
リポジショニングが注目される理由として、以下のようなことが主として挙げられている:
- 開発コストの削減:
- 既存薬はすでに安全性データがあるため、前臨床試験の一部を省略可能
- 開発期間の短縮:
- 新薬よりも早く臨床応用に到達できる可能性がある
- 未充足医療ニーズへの対応:
- 希少疾患や治療法のない病気に対する新たな選択肢となる
リポジショニングの主な課題
1. 科学的エビデンスの限界
多くのリポジショニング候補は、前臨床研究や観察研究に基づいており、因果関係が不明確なことが多い。
リポジショニング候補薬の多くは、細胞実験や動物モデル、あるいは観察研究から「効果がありそうだ」と示唆される。しかし、これらの研究は因果関係を証明するには不十分で、交絡因子やバイアスの影響を受けやすいという課題がある。
この課題を解決するためには、ランダム化比較試験(RCT)やメカニズム解明研究による裏付けが不可欠である。
RCTは、因果関係を明確にするための“ゴールドスタンダード”である。リポジショニング候補薬が本当に新たな疾患に有効かどうかを判断するには、無作為化・対照群・盲検化などを備えたRCTが不可欠である。特に、既存薬はすでに広く臨床の場で使われているため、プラセボ対照が倫理的に難しい場合もあり、工夫が求められる。
単に「効いた」という結果だけでなく、なぜ効いたのか(作用機序)を明らかにすることが、適応拡大や規制当局の承認において重要である。作用機序が明確であれば、類似薬への応用や副作用の予測、患者選択の最適化にも繋がるはずである。
2. 知的財産権とインセンティブの不在
既存薬は特許が切れていることが多く、製薬企業にとって収益性が低いため、積極的な投資が難しいという現実がある。
リポジショニング対象薬の多くは、すでに特許期間が終了しているか、あるいは「まもなく切れる」薬剤である場合が大半である。特許が切れると、ジェネリック医薬品(後発品)が参入し、価格が大幅に下がるため、製薬企業にとっては新たな適応症の研究開発に投資するインセンティブが乏しくなるのが実態である。
この課題を解決するためには、新たな用途特許の取得や、公的資金・官民連携による支援体制の構築がカギとなる。
リポジショニングでは、新しい適応症に対する用途特許(use patent)を取得することで、一定期間の独占的販売権を確保することが可能である。ただし、用途特許は、物質特許に比べて権利行使が難しく、ジェネリックとの競合を完全に防げないという課題もある。
近年では、NIH(米国国立衛生研究所)やAMED(日本医療研究開発機構)などが、リポジショニング研究に対する助成プログラムを展開している。
また、アカデミアと製薬企業、ベンチャー企業との連携によって、リスクとコストを分担しながら開発を進めるモデルも増加中である。例えば、Cures Within Reach、Repurposing Drugs in Oncology(ReDO)プロジェクトなど、非営利団体による支援も活発である。
上述のように、知的財産権の壁と収益性の低さは、リポジショニングの最大のボトルネックの一つである。 それを乗り越えるには、用途特許の活用と、産官学の連携による支援体制の強化が不可欠である。
3. 規制・承認プロセスの壁
新たな適応症での承認には、従来と同様の厳格な臨床試験と規制審査が求められる。
たとえ既存薬であっても、新しい疾患(適応追加)に対して正式な適応を得るには、通常の新薬と同様に臨床試験(特に第III相)を経て、規制当局の承認を受ける必要がある。これは、安全性プロファイルが既知であっても、効果の有無やリスク・ベネフィットのバランスは疾患ごとに異なるためである。
リポジショニングは「既存薬だから簡単に承認される」と思われがちだが、実際には新薬と同等のエビデンスが求められることが多く、時間もコストもかかるのが現実であるという。特に、用途特許が弱く収益性が低い場合、企業が承認申請に踏み切れないというジレンマがある。
この課題を解決するためには、適応外使用のエビデンス蓄積や、レギュラトリーサイエンスの活用による柔軟な承認戦略が必要となるだろう。
医療現場では、適応外使用(off-label use)として既存薬が別の疾患に使われることがあり、その実績や症例報告がリポジショニングの出発点になることも多い。これらのデータをリアルワールドエビデンス(RWE)として体系的に蓄積・解析することで、承認申請の裏付け資料として活用できる可能性がある。
レギュラトリーサイエンス(RS)とは、科学的根拠に基づいて医薬品の評価・承認プロセスを最適化する学問領域である。
このRSを活用することで、従来の枠組みにとらわれない柔軟な審査や、条件付き承認、適応拡大の迅速化が期待されている。例えば、日本の先駆け審査指定制度や、米国FDAのBreakthrough Therapy Designationなどを積極的に活用したい。
規制・承認プロセスの壁は、リポジショニングの実用化を阻む大きなハードルの一つである。 それを乗り越えるには、臨床現場からのエビデンス蓄積と、RSによる制度的柔軟性の導入がカギとなることを肝に銘じたい。
4. 薬剤特性のばらつき
同じクラスの薬剤でも、分子構造や組織親和性の違いにより、効果や副作用が異なることがある。
この課題を解決するためには、薬剤ごとの特性を踏まえた個別評価と精密医療的アプローチが重要となる。
その理由は、DPP-4阻害薬や抗うつ薬のように、同じ薬効分類に属する薬でも、分子構造や代謝経路、組織への分布、標的への親和性が異なることがあるからである。たとえば:
- DPP-4阻害薬のリナグリプチンは、腎排泄が少なく、腎機能低下患者にも使いやすいという特徴がある
- 一方、サキサグリプチンは、一部の研究で心不全リスクとの関連が指摘された
- 抗うつ薬のミノサイクリンは、中枢神経系への移行性が高く、神経保護作用が期待されている
つまり、「同じクラスだから同じように使える」とは限らないということである。
精密医療(Precision Medicine)とは、患者の遺伝情報・バイオマーカー・生活習慣・環境要因などをもとに、最適な治療を個別に設計する医療の考え方である。具体的には、現代の医療では、以下のようなアプローチが可能になっている:
- バイオマーカーによる患者層別化
- 例えば、ある薬が「炎症マーカーが高い患者」にだけ効果があるとわかれば、その層に絞って投与できる
- 薬物動態の個人差を考慮
- 代謝酵素(CYP450など)の遺伝的多型によって、薬の効き方や副作用リスクが変わるので、個別化医療が推奨される
- 疾患の分子サブタイプに応じた薬剤選択
- 例えば、がんでは「EGFR変異がある人にだけEGFR阻害薬を使う」など、疾患の分子プロファイルに応じて薬を選ぶことができる
DR成功のための戦略とは?
1. データ駆動型アプローチの活用
AIやビッグデータ解析を用いて、既存薬と疾患の新たな関連性を発見する動きが加速中である。 例えば:
- 遺伝子発現プロファイルのマッチング
- 薬剤ターゲットのネットワーク解析など
近年のリポジショニング研究では、AI(人工知能)やビッグデータ解析を活用して、薬剤と疾患の新たな関係性を探索する手法が急速に発展している。
これは「仮説駆動型」アプローチではなく、データから仮説を導く「データ駆動型」アプローチ(hypothesis-free approach)として注目されている。
代表的な例が、Connectivity Map(CMap)やLINCSプロジェクトなどである。これらは、疾患の遺伝子発現パターンと、薬剤によって誘導される発現変化を比較することで、「この薬がこの疾患の分子異常を打ち消すかも?」という仮説を導き出す手法である。例えば、抗てんかん薬・トピラメートの炎症性腸疾患への応用など、実際にCMapによって選択されたリポジショニング候補が複数報告されている。
薬剤ターゲットのネットワーク解析とは、薬剤が作用する分子ターゲットを生体内のシグナル伝達ネットワークや疾患関連ネットワークと重ね合わせることで、新たな疾患との関連性を予測する手法である。例えば、Protein–Protein Interaction(PPI)ネットワークやPathway Enrichment Analysisを使って、薬剤の“副次的な可能性”を可視化することができる。
AI創薬企業(例えば、BenevolentAI、Insilico Medicine)は、COVID-19やがんに対するリポジショニング候補をデータ駆動型で発見している。日本でも、AMEDや製薬企業がゲノムデータ・電子カルテ・薬剤データベースを統合した探索研究を進めているという。
以上、データ駆動型アプローチの活用は、現代のドラッグリポジショニングにおける最も革新的かつ有望な戦略の一つである。 特に、遺伝子発現マッチングやネットワーク解析は、疾患と薬剤の“見えないつながり”を発見する強力なツールになっている。
2. 公的機関・アカデミアとの連携
NIH(米国国立衛生研究所)やAMED(日本医療研究開発機構)などの公的資金によるリポジショニング支援プログラムが拡大中である。
NIHやAMEDは、リポジショニングを含む創薬支援に積極的に取り組んでいる。例えば、NIHのNCATS(National Center for Advancing Translational Sciences)は、製薬企業と共同で未活用薬の再評価プログラム(Discovering New Therapeutic Uses for Existing Molecules)を展開している。AMEDの創薬支援事業では、既存薬の新規適応探索や臨床試験支援が行われている。
DRが製薬企業単独では難しい理由は、リポジショニング対象薬は特許切れや収益性の低さから、企業単独での開発が難しいケースが多いからである。また、新たな適応症に対するエビデンス構築や臨床試験には多額の資金と専門知識が必要であり、失敗のリスクも高い。
このように製薬企業単独では難しいDR開発も、官民連携で推進可能になる場合がある。
官民連携のメリットは、公的機関やアカデミアと連携することで、基礎研究や疾患メカニズムの知見を活用できるほか、臨床研究ネットワークを通じた症例集積が可能になることである。また、公的資金による初期リスクの軽減が図れる。
さらに、患者団体や非営利団体(NPO)との連携によって、希少疾患や未充足ニーズへのアプローチも加速させられる。
公的機関・アカデミアとの連携は、リポジショニングを実現可能な医療戦略へと昇華させるための“推進力”である。 特に、資金・知識・ネットワークを共有することで、企業単独では難しい開発が現実のものとなる。
3. 適応外使用からの橋渡し
臨床現場での適応外使用の実績や症例報告をもとに、正式な適応拡大へとつなげる戦略も有効である。
適応外使用は、“現場発”のリポジショニングの起点となる。適応外使用(off-label use)とは、承認された適応症以外の疾患や用量・投与方法で薬剤を使用することである。特に、治療選択肢が限られる希少疾患や難治性疾患では、医師の裁量で適応外使用が行われることがあり、その中から新たな治療効果が見出されることもある。
症例報告やリアルワールドデータがDRの橋渡しとなる。適応外使用の中で得られた症例報告や観察研究のデータは、新たな適応症の可能性を示す“臨床的シグナル”として重要である。これらのデータをもとに、前向き研究や小規模試験を設計し、最終的に正式な適応拡大を目指すという流れが現実的な戦略として採用されている。
適応外使用は、あくまで医師の裁量に基づくものであり、エビデンスレベルは限定的である。正式な適応拡大には、倫理的に設計された臨床試験と規制当局の承認が不可欠である。つまり、エビデンスの質と倫理的配慮が必要である。そのため、適応外使用 → 症例蓄積 → 臨床試験 → 承認申請という“橋渡しの流れ”が重要になる。
適応外使用からの橋渡しは、現場の知見を活かしてリポジショニングを実現する、実践的かつ有効な戦略である。 特に、リアルワールドでの使用実績を科学的に昇華させることが、DRを成功させるためのカギとなる。
あとがき
ドラッグリポジショニングは、既存薬の“再発見”を通じて、医療の可能性を広げる挑戦である。 その道のりには多くの課題があるが、科学的根拠・制度的支援・戦略的連携を組み合わせることで、成功への道程が見えてくる。
未来の医療は、既存薬の中に眠っているかも知れない。 その可能性を信じて、再発見から未来へと繋げていくのは、医療に関わる者の知恵と行動力、そして使命であると思う。