はじめに
メトホルミンは、2型糖尿病の治療薬として長年使用され続けている。そんなメトホルミンが「古くて新しい薬」として、いま再び注目を集めている。実は、この薬が、がん、老化、神経疾患など、さまざまな疾患領域での応用可能性を秘めていることが、近年の研究で明らかになってきたのである。
本稿では、メトホルミンのリポジショニング(適応拡大)の動向と、その多機能性の背景にある作用機序を探っていきたいと思う。
メトホルミンとは?
メトホルミン(Metformin)は、1950年代から使用されているビグアナイド系の経口血糖降下薬である。つまり、60年以上の長きにわたって使われてきた糖尿病治療薬である。現在では、メトホルミンは、2型糖尿病の第一選択薬として世界中で広く使用されている。
メトホルミンは、主に肝臓での糖新生抑制と末梢組織でのインスリン感受性向上を通じて、血糖値をコントロールする。 その安全性とコストパフォーマンスの高さから、現在でも世界中で最も広く使われている糖尿病治療薬のひとつである。
メトホルミンの物理的・化学的特性
メトホルミンは、親水性が非常に高く、脂溶性が低いため、中枢移行性は低いけれど、腸管局所作用や代謝経路への影響が注目されている。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 一般名 | メトホルミン塩酸塩(Metformin hydrochloride) |
| 化学名 | 1,1-Dimethylbiguanide hydrochloride |
| 分子式 | C₄H₁₁N₅·HCl |
| 分子量 | 約165.63 g/mol(塩酸塩として) |
| 構造的特徴 | ビグアナイド骨格を持つ低分子化合物 水素結合性が高く、極性が強い |
| 外観 | 白色〜ほとんど白色の結晶性粉末 無臭またはわずかに特異臭。 |
| 水溶性 | 非常に高い(>300 mg/mL) 水に極めてよく溶けるが、有機溶媒にはほとんど溶けない |
| pKa | 約12.4(強塩基性) |
| LogP | 約 −1.43(極めて親水性) |
| 融点 | 約223–226 °C(分解を伴う) |
| 安定性 | 通常の条件下で安定。光や酸化に対して比較的安定 |
なぜ今、リポジショニングの対象に?
メトホルミンは、単なる血糖降下作用にとどまらず、細胞代謝、炎症、酸化ストレス、老化関連経路など、さまざまな生物学的プロセスに影響を与えることが解明されてきた。
この多面的な作用が、他疾患への応用可能性=リポジショニングの鍵となっている。
注目される新たな適応領域
メトホルミンは、血糖降下作用だけでなく、AMPK活性化、mTOR抑制、抗炎症、抗酸化、腸内環境の調整など、多面的な作用機序を持っていることが明らかになってきた。 このため、がん、老化、神経変性疾患、心血管疾患など、複数の疾患領域での応用可能性が研究されていて、「多機能な治療モダリティ」としての再評価が進んでいる。
がん治療・予防
メトホルミンは、AMPK経路の活性化やmTORの抑制を通じて、がん細胞の増殖抑制に関与する可能性があるとされている。
特に乳がん、大腸がん、前立腺がんなどでの予防的・補助的効果が注目されている。現状では、第II相や第III相の試験が複数進行中で、特に糖尿病を併発している患者を対象にした研究が多い。全体的には「効果があるかもしれないが、がん種や患者背景によって差がある」という認識の段階であるようだ。
- 乳がん:
- ホルモン療法や化学療法との併用で、再発リスクの低下を目指す試験が進行中
- 前立腺がん:
- アンドロゲン除去療法との併用で、進行抑制効果を検証中
- 大腸がんや膵臓がん:
- 代謝経路を標的にした併用療法が研究されているが、結果はまだまちまちである
また、一部では化学予防薬(chemoprevention)としての可能性も検討されている。これは、がんになる前に薬やサプリメントなどで発症リスクを下げることを目的としたアプローチである。つまり、メトホルミンの投与で治療を継続している糖尿病患者のがん発症率が低いという観察結果から、化学予防薬としての可能性が研究されているというわけである。
このような例は他にも報告されている。たとえば:
- タモキシフェン:
- 乳がんのリスクが高い人に使われる
- アスピリン:
- 大腸がんの予防効果があるとされている
神経変性疾患
メトホルミンは、アルツハイマー型認知症やパーキンソン病において、神経保護作用やインスリン抵抗性の改善が期待されているようだ。中枢神経系への影響を探る臨床研究も増加中であるらしい。
現時点では、観察研究においてメトホルミンがアルツハイマー型認知症や認知症リスク低下と関連する報告が増えているものの、ランダム化比較試験(RCT)での確定的な「予防/治療効果」の証拠はまだ限定的であるようだ。つまり、大規模RCTの最終結果は公表されておらず、観察研究のバイアス(交絡、適応バイアス)を考慮すると、現状では「有効性はまだ確定していない」という評価である。
パーキンソン病では、最近の小規模ランダム化パイロット試験が報告されているが、病態修飾効果は未確定であるという。メトホルミンを補助療法として評価するための二重盲検・プラセボ対照のランダム化パイロット試験の初期データが公表されたが、小規模で探索的な試験であるため、安全性や短期の臨床指標に関する知見は得られたものの、長期的な病態修飾効果の証明には至っていないらしい。
抗老化・寿命延長
メトホルミンは、酸化ストレスの抑制や細胞老化の遅延作用に関与することが示唆されていて、老化研究の分野でもホットな話題になっている。老化制御薬(geroprotector)として化ける可能性も否定されない中で、ますます関心が高まっているようだ。
米国ではTAME試験(Targeting Aging with Metformin)と呼ばれる臨床試験も進行中である。
TAME試験は、高齢者(65–79歳)を対象にメトホルミンの加齢関連疾患の発症抑制効果を検証する多施設二重盲検ランダム化試験である。追跡期間は約6年、被験者数は数千人規模を想定している。現時点では主要アウトカムの最終結果は未公表で、各施設での登録・追跡が進行中とされている。
心血管・代謝疾患
メトホルミンは、糖尿病以外にも、脂質異常症、メタボリックシンドローム、PCOS(多嚢胞性卵巣症候群)などへの適応が検討されている。
メトホルミンは、インスリン抵抗性の改善や体重減少効果があるため、メタボや脂質異常症の改善に寄与する可能性があるとされているが、これら単独の疾患に対する正式な適応は現時点では未承認である。ただし、糖尿病予備群や肥満を伴う症例では、予防的に使用されることがあるようだ(off-label)。
また、メトホルミンはインスリン抵抗性の改善を通じて、排卵誘発や月経周期の正常化に効果があるとされ、多くの臨床試験が行われている。日本では保険適応外であるが、クロミフェン抵抗性のあるPCOS患者に対する補助療法として使用されることがあるらしい。
しかしながら、メトホルミンの適応症において、正式な保険適応があるのは糖尿病のみであり、他の疾患ではoff-label使用である。そのため、適応症以外の治療は、医師の判断と患者の同意のもとで行われる必要がある。
製剤設計と今後の展望
メトホルミンは、高い水溶性と低い脂溶性を有していることから 消化管からの吸収は主に小腸上部であることが知られている。その吸収メカニズムは、受動拡散ではなくトランスポーター依存(OCT1など)であることも分かっている。
経口投与でのバイオアベイラビリティは、約50~60%程度であり、 吸収部位が限られるため、徐放製剤(ER)では放出部位の設計が重要となる。
また、代謝されずに尿中排泄される。つまり、 肝代謝を受けない腎排泄型代謝であるため、腎機能に依存する。そのため、用量調整が必要である。
メトホルミンは、低分子医薬でありながら、その作用機序の多様性から、新たな投与経路や併用療法の開発も進められている。 たとえば、徐放製剤やナノキャリアとの組み合わせによって、より標的性の高い治療が可能になるかも知れない。
あとがき
新薬開発には時間・コスト・リスクが大きくかかる一方で、既存薬は安全性プロファイルが確立されているため、リポジショニングは効率的な開発戦略として注目されている。
メトホルミンは、今や単なる糖尿病治療薬ではなくなり、多機能な治療モダリティとして“再定義”(再評価)される時代に入っている。
メトホルミンのように、長期使用実績があり、作用機序が多面的な薬剤は、リポジショニングの成功例として他の開発にも波及効果をもたらす可能性が高い。
メトホルミンのリポジショニングが成功した暁には、今後の医薬品開発やリポジショニング戦略においても、「既存薬の再活用」という視点がますます重要になっていくことでしょう。