はじめに
分析の感度や精度を飛躍的に向上させるためには安定同位体標識標準品を使用するのが望ましいと言われている。特に低分子医薬品(API)の定量分析では、化学的には同一でありながら質量が異なる安定同位体標識標準品を用いた内部標準が欠かせない。
本稿では、そんな安定同位体標識標準品の設計から合成・評価方法、そして実際の定量分析への組み込みまでをステップごとに取り上げたいと思う。
<目次> はじめに 安定同位体標識標準品がもたらす利点 安定同位体標識標準品の設計のポイント 標準品合成後の評価・特性解析 LC-MS/MS定量への組み込み 化合物Xの安定同位体標識内標の実践例 実務上の注意点 あとがき |
安定同位体標識標準品がもたらす利点
- マトリックス効果補正
- 試料中のイオン抑制や強化を、標的化合物と同じ挙動をする内標で補正できる
- 高精度・高再現性
- カラム保持時間やイオン化効率の変動を内標で相殺できる
- 簡便な校正曲線作成
- 内標比(分析対象/標識化合物)から直接的に定量できる
- トレーサビリティの強化
- 質量変化を目印に、偶発的なクロスコンタミやピーク同定ミスを防げる
安定同位体標識標準品の設計のポイント
- ラベル原子の選定
- 主要選択肢
- 2H(重水素)、13C、15N、18O など
- 重水素は合成容易だが、化学シフトや分解時の脱離に注意
- 主要選択肢
- ラベル位置の最適化
- 代謝的・化学的に安定な部位を狙う
- 例:芳香環の不活性炭素
- 分子内でラベルが分散するように複数箇所に置くことで、シグナル強度を向上させる
- 代謝的・化学的に安定な部位を狙う
- 質量差の設定
- 元分子との質量差は最低 +2 Da 以上を確保し、アイソトープピークの重複を回避する
- 高分解能MSで分離する場合は +6~+10 Da 程度を狙う
- 合成経路の選択
- ビルディングブロックとして市販の13Cや15N標識前駆体を利用する
- 全合成 vs 部分合成
- コストと収率を勘案し、効率的なルート設計する
標準品合成後の評価・特性解析
- 同位体純度(Isotopic Enrichment)
- GC-MS/LC-MS-MS を使用
- 標的イオンと未標識イオンの比で計測
- 構造同一性の確認
- NMR(13C-NMR、 2H-NMR)でラベル挿入部位を特定
- 化学純度・含量試験
- HPLC-UV/Evaporative Light Scattering Detector(ELSD)で不純物排除状況を評価
- 安定性試験
- 高温・光照射条件下で分解やラベル脱落のリスクを検証
LC-MS/MS定量への組み込み
- 内部標準溶液の調製
- 定量レンジ内の濃度比を想定し、標的化合物濃度に対して一定比で添加
- キャリブレーションカーブ作成
- 標的化合物濃度 vs (ピーク面積/内標ピーク面積)の比をプロット
- 最小二乗法で直線性・相関係数を確認
- サンプル前処理
- タンパク沈殿や固相抽出時も内標を最初に添加
- 回収率変動を補正
- 定量データの算出
- 逆算式:試料中濃度 = (標的ピーク/内標ピーク) × 校正係数
- ロット間や日内変動を内標で相殺し、精度・再現性を担保
化合物Xの安定同位体標識内標の実践例
この例では、O-メチル基を置き換えず、芳香環の6位と7位に13Cを分散して配置する。LC-MS/MSのMRM条件も未標識とほぼ同一の条件で検出できる。
項目 | 未標識化合物X | 13C6-標識内標 |
---|---|---|
分子量 (Da) | 320.1 | 326.1 (+6 Da) |
溶出時間 (min) | 4.87 | 4.87 |
MRM 遷移 (m/z) | 320.1 → 172.1 | 326.1 → 178.1 |
イオン化効率差 | – | <5% |
定量範囲 (ng/mL) | 0.5–500 | 内標は200 ng/mL固定添加 |
精度・再現性 (RSD) | <5% | <2% |
実務上の注意点
- コスト管理
- 標識前駆体・合成試薬は高価なため、スケールと必要純度を見極める
- 在庫管理
- 光・湿度・温度による劣化を防ぐため、遮光密封保存
- 安定同位体ピークのモニタリング
- 定期的に同位体純度の再測定を行う
- カーブのバイアスを防止
- 規制遵守
- ICH-M10(バイオ分析法)
- 各国薬局方に合わせた内標品のデータ整備
あとがき
安定同位体標識標準品は、低分子医薬品のLC-MS/MS定量において真の内部標準としての威力を発揮する。設計段階でのラベル位置・質量差設計、合成後の同位体純度と化学純度評価、実際の分析への組み込みを適切に行うことで、マトリックス効果の補正や日内・ロット間変動を大幅に抑制できる。
本稿で取り上げた内容に関連した分析科学の最前線では、安定同位体ラベリングを用いた代謝経路解析(メタボロミクス応用)、多重内標(マルチプレックス)による同時定量手法の展開、安定同位体を組み込んだイメージングMSによる組織分布可視化といった興味深いテーマもあるが、これらについては私自身がもう少し学習してから取り上げたいと思う。