はじめに
医薬品の同一性確認や品質管理に赤外分光法が用いられることが多い。赤外分光法の代表的なサンプル調製法にはKBrペレット法(KBr法)とATR(Attenuated Total Reflectance)法の2種類があり、それぞれに特長があり、用途や試験環境に応じた使い分けが求められる。
本稿では赤外分光法におけるKBr法とATR法のメリットとデメリットを整理し、最適な選択ポイントを取り上げたい。
赤外分光法の概要
赤外分光法は試料の官能基振動に基づく同定手法で、以下の流れで確認試験を実施する。
- 試料調製(KBrまたはATRプローブ)
- スペクトル測定(4000~400 cm⁻¹)
- 試料スペクトルと参照スペクトルの比較
試料の前処理方法で得られるスペクトルの品質や再現性が大きく変わるため、調製法の選択が肝要である。
KBr法の特徴
KBr(臭化カリウム)法では、試料をKBr粉末と混合してペレット状にし、透過型赤外分光法を用いて分析する。KBr法は感度と分離能が高いことが特徴である。
メリット
- 分光透過長が一定で定量精度が高い
- 優れた感度で高分解能のスペクトルを提供
- 赤外光がペレットを透過するため、試料の分子構造を詳細に分析できる
- 粉末試料を均一に混合するためマイナー成分も検出しやすい
- 文献や局方モノグラフのスペクトルライブラリと相性が良好
デメリット
- KBr粉末との混合→プレス成形に時間と手間がかかる
- 試料をKBr粉末と混合し、ペレット状に押し固める
- このプロセスには時間がかかる
- ペレットの厚さと均一性を正確に制御する必要がある
- 固体試料に最適が液体やゲルには効果が低い
- ペレット形成に課題があるため
- 水分に感度が高く、湿気管理が必須
- 試料を破壊してしまう(不可逆)
- ペレットを正確に調製するために高い技術と経験が必要
- ペレットの形成が一定でない場合、スペクトルの質にばらつきが生じることがある
ATR法の特徴
ATR(減衰全反射)法では試料の前処理は最小限で済み、ダイヤモンドやセレン化亜鉛などのATR結晶に試料を直接接触させる。その後、赤外光が結晶に照射され、エバネッセント波が試料と相互作用してスペクトルを生成する。
ATR法は汎用性が高く、固体、液体、ゲルに適しており、使いやすさと試料をそのままの状態で分析できることから好まれる。
ATR法はより迅速で、試料前処理が少なくて済み、幅広い種類の試料に適応できる。
メリット
- サンプル前処理が極めて簡便(粉末・ペースト・固体表面をそのまま測定)
- サンプルの前処理は最小限で済む
- 試料をATR結晶に直接接触させるだけ
- 迅速で使いやすい
- 測定時間が短く、ハイスループットなQCに最適
- エバネッセント波との相互作用により、サンプル表面の分析が効果的に行うことができる
- 試料の消費量が少なく、非破壊測定が可能
- 汎用性が高く、固体、液体、ゲル、粉体まで扱える
- 試料の物理的形状を変えることなく自然な状態で分析できる
- ルーチン分析に使いやすい
- KBr法ほど専門知識を必要としない
デメリット
- スペクトルの分解能はKBr法に比べて若干劣る
- 吸収層(数µm)の深さにより、微量不純物の検出感度が低下
- 接触圧力やプローブ材質によるスペクトル変動のリスク
- 厚さや密着状態がスペクトル再現性に影響
KBr法とATR法の比較
KBr法とATR法の特徴を下記の比較表にまとめてみた。
比較項目 | KBrペレット法 | ATR法 |
---|---|---|
試料前処理 | 粉末+KBr混合 →プレス圧縮 | 試料をそのままプローブに接触させる |
試料調製 | 時間がかかる | 最小限の準備、迅速で簡単 |
測定時間 | 5~10分程度 | 1~2分程度 |
定量精度 | 高い | 中程度(マイナー成分は検出困難) |
検出感度 | 高い | 表面近傍のみ |
再現性 | 高い(調製管理が鍵) | 条件管理(圧力、クリーニング)が必要 |
IRスペクトルの品質 | 優れた感度を持つ高分解能スペクトル | 分解能はやや低いが、ほとんどの分析には十分な品質 |
試料種類 | 固体サンプルに最適 液体やゲルには不適 | 多用途(固体・液体・ゲル・粉末)に適する |
試料消費量 | 数mg~数十mg | 数mg以下 |
試料破壊性 | 有(不可逆) | 無(非破壊) |
熟練度 | ペレット調製に熟練を要する | ルーチン分析には簡単 |
測定装置 | 透過セットアップを備えた従来型赤外分光計 | 最新の赤外分光計に取り付け可能なATRアクセサリー使用 |
保守点検 | 低頻度(KBr粉末補充のみ)だが手間がかかる | プローブクリーニングが頻繁 |
KBr法とATR法の選択のポイント
- 日常QCのスピード重視 → ATR法がおすすめ
- 前処理・測定ともに短時間で完了する
- 定量・マイナー不純物検出 → KBr法が有利
- 透過長が一定で微量成分のピークも鋭く出る
- 試料の量が限られる/非破壊が必要 → ATR法
- サンプルをほとんど消費せずに繰り返し測定可能である
- スペクトルライブラリ活用 → KBr法のライブラリが豊富なので、既存データとの比較が容易である
- ラボ環境と試験者のスキルの有無
- KBr法は手技の習熟が必要
- ATR法は操作がシンプルで初心者向き
NDA申請(日本)でATR法は受け入れられるか?
日本での新薬承認申請(NDA)において、確認試験(同定試験)でATR法を採用すること自体は可能である。ただし、日本薬局方(JP)モノグラフやPMDA査察で標準とされるKBrペレット法と同等以上の信頼性を示し、妥当性を十分に裏付ける必要がある。そのためには以下に記載するポイントを押さえて準備しておくことが推奨される。
ATR法採用の根拠とPMDAの立場
JPモノグラフでは赤外分光法による同定(確認試験)にKBr法を示しているが、モノグラフは標準的手法の提示であり絶対的必須手法ではない。ATR法を使う場合も、ICH Q2(R1)に沿った分析法のバリデーションとモノグラフ法との同等性確認を行えばPMDAは受け入れるはずである。
PMDAにおいても、試験法の科学的妥当性が最重視される。ATRの特徴である非破壊・高速測定を活かしつつ、KBr法と比較したスペクトルの一致性を示すことができれば問題はないはずである。
必須データ・検証項目
- 同定特異性(Specificity)
- 標準品と試験品のATRスペクトルを重ね合わせ、主要吸収ピークの波数と強度比が一致することを示す
- 再現性(Precision)
- 同一試料を複数回(最低3回)測定し、ピーク高さや吸光度比のRSDが許容範囲内(例:≤2%)であること
- 感度(Sensitivity)
- 微量添加試験(spike)等でマイナー成分ピークの検出能を検証
- ATRの吸収層限界を考慮し、KBr法に遜色ないことを示す
- 比較性(Comparability)
- 同一バッチをKBr法でも測定し、相関図や相関係数(例:r>0.995)でATR法スペクトルの一致性を定量的に立証
CTDへの記載例(Module 3.2.S.4.3)
- 確認試験法名称
- 「赤外吸収スペクトル法(ATRプローブ法)」
- 試験法概要
- 測定波数範囲、装置型式、プローブ材質、接触圧条件などを詳細に記載
- 受入基準
- 主要吸収波数と許容ピーク位置差(例:±2 cm⁻¹)
- 吸光度比範囲(例:0.90~1.10)
- 妥当性確認概要
- 前項「必須データ・検証項目」の結果を表やグラフで示し、KBr法との比較結果を添付
上述のようなポイントを整備すれば、PMDAはATR法を正式な同定のための確認試験法として認めてくれるはずである。KBr法のデータだけでなく、ATR法の利点(非破壊性、高速性)を活かした品質管理のプロセスフローを合わせて提案すれば、PMDAの審査官の理解も得やすくなるかも知れない。
あとがき
KBr法は、主に高解像度データが必要な研究室や実験室で使用されることが多いようだ。しかしながら、KBr法はKBrパウダーのコストとペレットの調製が必要なため、全体的な経費がかさむ。さらに、ペレットプレスを維持し、ペレットの品質を一定に保つには、労力がかかる。したがって、現場での使用や迅速な分析にはあまり適していないと言えるかも知れない。
一方、ATR法は、その適応性とスピードにより、実験室や現場の両方で広く使用されているようだ。特に品質管理やプロセスモニタリングに有用であるとされる。さらに、ATR法はATRアクセサリーの初期コストは高いかも知れないが、消耗品の必要性が減り、メンテナンスが簡単になるため、長期的には費用対効果が高くなると言われている。
KBr法とATR法のどちらを選択するかは、試料の種類、希望するスペクトル分解能、使いやすさの必要性など、分析に求められる具体的な要件によって決まる。KBr法は固体試料の高分解能分析に最適であり、ATR法は幅広い種類の試料に対応できる汎用性と利便性を備えている。つまり、KBr法は高精度・高感度が求められる特別な分析に適し、ATR法は迅速性や非破壊性が重視される品質試験に向いていると言える。
研究室での目的やリソース、サンプル特性に合わせて、KBr法とATR法を使い分けることで、効率的かつ信頼性の高い医薬品の確認試験が実現できるというわけである。そのためにはKBr法とATR法の特徴をしっかりと理解することが重要である。
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