はじめに
マズローの欲求階層理論では、人間の欲求は「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現の欲求」の5段階に分けられ、低次の欲求が満たされることで、次の欲求が現れるとされている。
生理的欲求とは、生命を維持するために必要とされ、本能的な欲求を指す。具体的には次のような欲求が含まれている。
- 食欲
- 食事を摂ることで栄養を補給し、生命を維持する
- 睡眠欲
- 適切な睡眠で、体力を回復し、健康を保つ
- 性欲
- 生物としての種の継続に寄与
- 呼吸
- 酸素を取り込み、二酸化炭素を排出して生命を維持
- 水分補給
- 水分を摂り、体内の水分バランスを保つ
- 排泄
- 体内の不要な物質を排出することで、健康を保つ
これらの欲求は、人間が生きていくための基本的な欲求であり、これらが満たされないと生命を維持することが困難となる。
摂食障害は、生命の維持にも支障をきたす重要な問題であると共に、食欲という生理的欲求の欠如問題でもある。
摂食障害とは
摂食障害(eating disorder)は、食行動の重篤な障害を呈する精神障害の一種で、患者の極端な食事制限や、過度な量の食事の摂取などを伴い、それによって患者の健康に様々な問題が引き起こされる。
一般的には、神経性無食欲症(anorexia nervosa;拒食症)と神経性大食症(anorexia nervosa;過食症)に大別される。
これらの疾患の病態は、食欲の問題ではなく、体型や体重に対する認知の歪みである。
単なる一過性の反応ではなく、かなり長い間、食事に関する問題が続き、しかも、体型や体重に対する強いこだわりがあるのが特徴である。
心理社会的ストレスで発症する心身症も機能的な障害を伴うが、この心身症とは区別され、摂食障害は精神疾患に分類される。
患者は圧倒的に若い女性が多く、大半は14~18歳に発症する。欧米における有病率は0.12~0.37%といわれる。日本では神経性無食欲症の有病率は他のアジア諸国と比べて高いが、欧米と比較すると低いとされる。30歳以後の発症は遅発性といわれ、喪失体験、家庭生活の危機、身体疾患の罹患などを契機に発症することが多い。
神経性無食欲症(拒食症)
痩せようとして、あるいは太ることをおそれて厳しい食事制限をしているうちに、食欲が極度に減退して著しく痩せる疾病である。神経性食欲不振症と呼ばれることもある。思春期の少女に多くみられる。
拒食症者は食事の量を非常に制限し、かなりやせた状態になっても体重が増えることを強く恐れる。栄養失調から生理が止まり、低体温、低血圧などの身体症状が現れても本人の危機意識は乏しい。むしろ、やせ細った体形によって自分自身の価値を支えているところがある。体力は衰えるが、学業、スポーツなどに打ち込み、活動的であろうとする。
米国の報告では、10年以上の経過で約60%が治る一方で、6~7%が死亡するといわれている。日本における報告でも同様の成績が報告されており、思春期・青年期女性の疾患としては最も重症な疾患のひとつである。 標準体重の60%以下の低体重は死亡の転帰と関連していると報告されている。
やせていることが美しいとする文化的な背景のある地域に多くみられ、約95%が女性、それも思春期・青年期の女性に多いとされる。最近、低年齢化および高齢化しているといわれ、世界的にも大きな社会問題になっている。
神経性大食症(過食症)
精神的なストレスやダイエットをきっかけにして、いったん食べ始めると大量に食べてしまう疾病である。特徴的なことは、大量に食べたことに対する罪悪感が強く、反動で絶食したり、無理やりのどに指を押し込んで吐きだしたり、下剤を使用したりして過食した分をなんとか排出しようとする。特に嘔吐すると快感を伴うため、習慣化しやすい。
過食症は、自然な空腹感よりも心理的な飢餓感が背景にあり、食べ始めると止まらない。その一方で体重の増加を防ぐため、無理な嘔吐や下剤の乱用が見られる。過食を恥ずかしく思い、抑うつ的で自己嫌悪感が強い。拒食と過食の両方の障害を繰り返したり、拒食から過食へ移行することも少なくない。
原因
摂食障害は、社会・文化的要因や心理的要因、さらに生物学的要因が重なって起こる多因子疾患と考えられている。
摂食障害は、家族・学校・職場などにおける人間関係のストレスから発症することが多い。摂食障害の原因は、多岐にわたっているが、過激なダイエット、肉親の死などの精神的ショック、家庭内の問題や母子関係・対人関係・生活環境の変化などによる過度のストレス等があげられる。
飽食の時代にあって、特に若い女性の痩せたいという願望からくる過度のダイエットによって摂食障害を起こすケースが急増している。また、ストレスから発症するケースも多い。真面目で神経質、完璧主義、傷つきやすい、人に気をつかう等の性格の人がなりやすいとされる。 食行動の異常に基づく原因不明の難治性の疾患であることには違いない。
神経性無食欲症 (拒食症)
やせていることが美しいとする文化的な背景のある地域に多くみられ、約95%が女性、それも思春期・青年期の女性に多いとされる。最近、低年齢化および高齢化しているといわれ、世界的にも大きな社会問題になっている。
一般に慢性の経過をたどる場合が多く、症状は対人関係の問題や社会環境でのストレスに敏感に反応し、容易に再発することも知られている。
神経性大食症 (過食症)
さまざまなストレスが原因になり、誤ったストレス解消方法で起きる疾病であるが、実際の発病プロセスははっきりしない。
症状
摂食障害とみなされる症状には、興奮しすぎたり、過敏症、過度の疲労感、激しい怒り、食べ物への無関心、食べ物を吐き出す、などの傾向がある。
また、低血圧、心拍数低下、低体温、無月経、便秘、下肢のむくみ、背中の濃い産毛、皮膚の乾燥、てのひらや足の裏が黄色くなるといった変化が認められる。
神経性無食欲症 (拒食症)
神経性無食欲症 では食べないこと(拒食)が主症状であるが、食事後隠れて吐いたり、下剤をのんで体重を減らすこともある。体重が減り極端にやせても、体重が増えることを拒絶する。監視下で食事をさせた場合には、走ったり階段を昇降して運動量を増やしてやせようとする。食事に対する関心はむしろ増していることが多く、カロリーを気にしたり、他人の食事内容にまで関心を示したりする。
節食や激しい運動などにより、適正な体重の15%以上のやせがみられ、月経も止まる。それだけやせても、もっとやせたいと思ったり、少しでも太ると自分は醜いと思いつめるなど、体重次第で自己評価が大きく左右されるので、毎日の生活が、体重の心配を中心に回るようになってしまう。
本人は十分に食べているつもりでも、食事の内容が野菜などに偏っており、必要な栄養を満たしていないことがよくある。食事量が少ないと胃腸の動きが悪く、便秘になりやすいため、つねに腹部膨満感があり、ますます食事量が減ってしまう。
摂取する栄養が少ないと、貧血、白血球減少、低血圧、低体温などさまざまな弊害が出る。手のひらが黄色くなったり、体毛が増えたり、頭髪が抜けることもある。低体重が続くと、女性ホルモンがでにくくなり、若い女性でも閉経後の女性と同じようなホルモン環境になるので骨粗鬆症にもなりやすい。
神経性無食欲症は、ボディイメージの障害、強いやせ願望や肥満恐怖のため、不食や摂食制限、あるいは過食しては嘔吐するため、著しいやせとさまざまな身体症状、精神症状を生じる。神経性無食欲症のうち、不食や摂食制限のみで、むちゃ食いや排出行動を伴わないものを制限型という。また、むちゃ食いや、嘔吐・下剤や利尿剤の乱用などの排出行動を伴うものをむちゃ食い/排出型と呼ぶ。低体重、低栄養による二次的な変化として、さまざまな身体所見、検査所見が認められ、場合によっては致死的となる。
神経性大食症 (過食症)
神経性大食症では、過食とそれに続く食事制限や自己誘発嘔吐、下剤の使用などが繰り返して起こる。やせは見られず、体重は正常範囲内である。
神経性大食症では、短時間の間に大量の食べ物を食べてしまうが、これが単なるやけ食いとは異なる点は、神経性無食欲症と同じように、やせていないと自分は醜いという思い込みがあるため、過食の後、うつ状態におちいったり、体重を元に戻すために自分で嘔吐したり、下剤を必要以上に使ったりすることである。症状が重い時期には、毎日1日中、過食、嘔吐をくり返すといった状態になる。
繰り返されるむちゃ食いと体重のコントロールに過度に没頭することが特徴の病態であるので、体重増加を防ぐための不適切な代償行動として排出行動や過剰な運動や絶食を繰り返す。DSM-Ⅳでは「排出型」と「非排出型」に分けている。体重はほとんどは標準範囲内か、やや肥満状態にある。
嘔吐や下剤を大量に使っていつも下痢をおこしている場合は、胃液・腸液とともにカリウムが大量に失われ、低カリウム血症になる。心臓はカリウムの値に敏感で、不整脈などをおこしやすいので、注意が必要である。慢性的に嘔吐していると、歯のエナメル質が失われたり、唾液腺炎になることもよくある。
拒食症による栄養失調の状態が長く続いた後に、過食症になることもある。過食だけでなく、アルコールを飲みすぎたり、その他の薬物乱用も同時にみられることもある。過食症の人の体重は、嘔吐や下剤乱用の程度によりさまざまであるが、かなり低体重になった場合は、拒食症と同様の合併症への注意が必要である。
最近の欧米における有病率は1%とされ、概して神経性無食欲症より高い。発症は思春期後期である。神経性無食欲症とは異なり、性的には活発である。アルコール依存、窃盗、自己破壊的性行動、物質乱用、自傷行為などがしばしば見られ、過去に性的外傷などを経験していることもある。
神経性無食欲症の強迫性に対して、神経性大食症は解離性の症状が見られることが多い。夜間にむちゃ食いをしてその記憶がないということもしばしば見られる。身体的には反復する嘔吐や下剤乱用のため、低カリウム血症、低マグネシウム血症、低ナトリウム血症などの電解質異常、高アミラーゼ血症、食道裂孔などに注意する。低カリウム血症は不整脈、筋力低下、麻痺性イレウスなどの原因となる。
検査・診断
診断上で重要なのは、肥満への恐怖や身体イメージの障害などである。自分が病気であると認識していない人が多いので、時に合併するうつ症状やパーソナリティー障害とされて見逃されることも少なくない。
やせや過食嘔吐、薬物乱用などの影響で二次的なさまざまな身体障害を合併する。一方で、過食嘔吐のない制限型では、やせの程度のわりに血液検査などでは異常が現れず、一般診療科で見逃される一因ともなっている。生命予後に直接関係する検査の異常は、低血糖、低カリウム血症や低リン血症などである。
神経性無食欲症 (拒食症)
神経性無食欲症の場合、低体重・低栄養・脱水に伴い、さまざまな身体の異常所見・血液および尿検査の異常・生理学的検査の異常が認められ、心身症に準じて、心身両面からのアプローチが必要であり、心療内科で診療することが多い。
神経性大食症 (過食症)
神経性大食症では、低体重を伴わない場合であっても、血液検査の異常(排出行動による電解質異常など)が認められ、身体面の管理も必要となる。
治療
治療法としては、心理療法、薬物療法、栄養療法、身体管理、家族へのサポートなどがある。
病気だと意識していない人も多く、治療を受けていない人が数多くいることが推定される。摂食障害が疑われたら、精神科や心療内科で専門医を紹介してもらうとよい。
一方で、疾患自体の効果的な治療方法は確立していないので、 治療は、 行動療法を中心にした心理療法が中心である。補助的な薬物療法にも効果が認められている。体重低下が著しい場合や、抑うつ感や自殺願望が強い場合は、入院治療をすることもある。
神経性無食欲症 (拒食症)
神経性無食欲症の患者は瘠せ願望と肥満恐怖が強いため、病気であることをなかなか認めようとしない。そのため病気の現実(認知の歪み、身体症状、異常所見、死の可能性など)について説明し、治療への動機づけをする必要がある。認知行動療法が有効であるが、 神経性無食欲症 では行動制限をすることが中心となる。
薬物療法は、極度の栄養失調に陥っている場合に補助的に行うもので、注射などでアミノ酸製剤や栄養剤などを補給し、その後、抗不安薬や抗うつ剤などを利用する。
神経性大食症 (過食症)
神経性大食症の患者は、挫折し、絶望的になっていることが多いため、正しく病気について説明し、励ます必要がある。認知行動療法が有効であるが、 神経性大食症 では課題を少しずつ無理のない範囲で達成することが中心となる。
予防
摂食障害の予防には、適度な運動、家族との食事、悩み事をすぐに誰かに話すなどが有効とされている。また、偏った食事や睡眠不足を避けることも重要であるとされる。
摂食障害の予防として、下記のような方法が提案されている。
- 食事のリズムを整える
- 食事を規則的に摂ることが大切
- 消化器官が正常に機能するようになる
- 食べ物の種類を多様化する
- バランスの取れた食事を心がける
- 栄養素を多様に摂取することが重要
- ストレス管理
- ストレスは消化不良の原因となることがある
- リラクゼーションや軽い運動を取り入れる
- 適切な食べ方
- 食べ物をゆっくりと噛み、十分に咀嚼する
- 適切な食べ方は消化を助ける
- 水分補給
- 十分な水分を摂取することで、消化を円滑にする
これらの方法の実践が摂食障害の予防に役立つことを願う。
あとがき
摂食障害は、若い女性、特に10代から20代の思春期から青年期の女性での発症率が高いとされている。その理由として、次のような考察がある。
- やせ願望
- 若い女性には「痩せたい」という強い願望がある
- その願望は自己評価の一部となっている場合がある
- 体重や体形をコントロールすることで満たされる
- ストレス
- 摂食障害の発症にはストレスが大きく関与している
- 現代社会は、ストレッサーがあらゆる場所・機会に存在
- 心理的問題
- 摂食障害の発症は、心理的な問題が原因となる
- 自己評価の低さ
- 孤独感
- 生きづらさ、etc.
- 摂食障害の発症は、心理的な問題が原因となる
- 社会的・文化的要因
- マスメディアの影響
- 「痩せていることが素晴らしい」という偏見が蔓延
- 摂食障害の発症に影響を及ぼす要素に溢れている
これらの要因が複雑に絡み合って、若い女性に摂食障害が発症しやすいと考えられている。
一方で、摂食障害はシニア世代でも発症する可能性がある。最近の研究では、中高年の女性や男性、さらには高齢者でも摂食障害が増えていると報告されている。
高齢者が摂食障害になりやすい理由としては、次のような要素があるためと考えられいる。
- 認知症
- 目の前の食べ物を認識することができなくなる
- 食べ物に興味がなくなる
- 食べ物を自分で口に入れることができなくなる
- 老化
- 老化に伴い、口腔機能や唾液分泌量が低下している
- 食事中にむせたりして、食べづらさを感じる
- 病気の後遺症
- 脳卒中などの後遺症より摂食障害が起きることが多い
- 感覚麻痺
- 運動障害
- 脳卒中などの後遺症より摂食障害が起きることが多い
シニア世代だからと言って、決して摂食障害と無縁であるとは言えない時代に私たちは生きている。摂食障害の症状が認められる場合には、早期に専門家に相談し、適切な治療を受けることが重要となる。
【参考資料】
MSDマニュアル 家庭版・プロフェッショナル版 |
摂食障害について | メディカルノート (medicalnote.jp) |
高齢者は摂食障害になりやすい?摂食障害となる原因について紹介│健達ねっと (mcsg.co.jp) |