はじめに
解離性障害(dissociative disorder)は、通常は統合されている意識、記憶、自己同一性などが混乱し、連続性がなくなったり、失われたりする精神疾患である。強いストレスや心的外傷が原因で発症すると考えられている。
強い葛藤に直面して圧倒されたり、それを認めることが困難な場合に、その体験に関する意識の統合が失われ、知覚や記憶、自分が誰であり、どこにいるのかという認識などが意識から切り離されてしまう。
解離性健忘と呼ばれる精神障害も解離性障害の一つに数えられている。この病名は、身体的症状から転換した特徴的な症状を表現したもののようである。
解離性健忘とは
解離性健忘は、自分に関する重要な情報を広い範囲にわたって思い出せない。外傷的な出来事による強い衝撃のために、それに関する記憶の想起が不可能になった状態であり、通常の物忘れよりもその範囲は広範に及ぶ。
解離性健忘は、脳の器質的な損傷によるものではなく、ストレスなど心理的な要因によって自分に関わる記憶を思い出せなくなる精神障害であり、「心因性健忘」や「機能性健忘」などと呼ばれることもある。
原因
解離性健忘は、心理的に外傷的な体験やストレスに満ちた体験に耐えたり、目撃したりすること(例:身体的または性的虐待、レイプ、戦闘、集団殺害、自然災害、愛する人の死、深刻な経済的問題)、または大きな内的葛藤(例:罪悪感を伴う衝動による混乱または行動、明らかに解決不能な対人関係の問題、犯罪行動)により引き起こされると考えられる。
解離性健忘のはっきりとした原因はこれまでの研究においても明らかにされていない。しかし、解離性健忘も脳内の何らかの記憶に関する神経機構が障害もしくは抑制されていると考えることができる。また、解離性健忘は、過去に次のような経験をしている場合に発症しやすいことが知られている。
- 小児期の好ましくない体験、特に身体的、性的な虐待
- 暴力がある人間関係
- 心的外傷の重篤度、頻度、暴力性が高い
症状
解離性健忘の主な症状は、正常なもの忘れと一致しない記憶障害である。健忘には、限局性、選択的、全般性、系統的、持続性の場合がある。
幼少期に数カ月ないし数年にわたり虐待を受けていた経験や激しい戦闘に参加していた日々など、特定の出来事または特定の期間(限局性健忘)、ある出来事の特定の側面のみ、または一定期間中の特定の出来事のみ(選択性健忘)、個人的な自己同一性や過去の経験すべて、ときに習得した技能や世界に関する情報を含む(全般性健忘)、特定の人物や家族に関するすべての情報など、特定のカテゴリーの情報(系統的健忘)、発症後に起きた新たな出来事すべて(持続性健忘)を思い出せないケースもある。
限局性健忘(localized amnesia) |
特定の出来事または特定の期間について思い出せなくなるが、このような記憶の空白には通常、心的外傷またはストレスが関係している。例えば、幼少期に虐待を受けた数カ月間ないし数年間や、激しい戦闘を経験した数日間について忘れることがある。健忘は心的外傷の時期から数時間、数日、またはそれ以上の期間にわたり顕著にならない場合もある。通常、記憶のない時期は明確に区分され、期間は数分間から数十年間と幅がある。典型的には、患者は記憶障害エピソードを1回または複数回体験する。 |
選択的健忘(selective amnesia) |
一定の期間中の一部の出来事のみ、または外傷的出来事の一部のみを忘れる。限局性健忘と選択的健忘が両方生じる場合もある。 |
全般性健忘(generalized amnesia) |
患者は自身の同一性と生活史(例えば、自分が何者なのか、どこへ行ったか、誰と話したか、自分が何をし、言い、考え、経験し、感じたか)を忘れる。よく習得された技能が使えなくなったり、世間について以前は知っていた情報を忘れたりする患者もいる。戦闘を経験した退役軍人、性的暴行の被害者、および極度のストレスまたは葛藤を体験した人で比較的多くみられる。発症は通常突然である。 |
系統的健忘(systematized amnesia) |
特定の人物または自分の家族に関する全ての情報など、特定のカテゴリーの情報を忘れる。 |
持続性健忘(continuous amnesia) |
新しい出来事が生じるたびにその出来事を忘れる。 |
大半の患者は、自分の記憶に空白があることに部分的または完全に気づいていない。個人的な同一性が失われるか、状況から気づかされた場合(例えば、自分が思い出せない出来事について人から知らされたり、尋ねられたりした場合)にのみ自覚するようになる。
健忘が生じた直後に受診した患者は、混乱しているように見えることがある。強い苦痛を覚える患者もいれば、無感心の患者もいる。自分の健忘に気づいていない患者が精神医学的支援を求めて受診する場合は、その理由は別のものである。
抑うつ症状と機能的な神経症状がよくみられ、自殺行動やその他の自己破壊的行動もよくみられる。健忘が突然消失して、思い出した心理的外傷の記憶に患者が圧倒された際に自殺行動のリスクが増加する場合がある。
検査・診断
解離性健忘の診断は、患者の症状に基づいて下される。普通は忘れることのない重要な個人的情報(通常は心的外傷[トラウマ]やストレスと関連している)を思い出すことができない。
その症状によって強い苦痛を感じているか、その症状のために社会的な状況や職場で役割を果たすことができない。また、認知症など健忘の神経学的な原因を否定するために身体診察も行う。場合によっては、健忘の他の原因を否定するために検査が必要になることもあるという。
解離性健忘の診断は、Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders、Fifth Edition(DSM-5)の次の基準に基づいて臨床的に行う。
患者は通常のもの忘れでは典型的には失われることのない重要な個人的情報(通常は心的外傷またはストレスに関連するもの)を想起できない。 |
症状によって、著しい苦痛が生じているか、社会的または職業的機能が著しく損なわれている。 |
診断では医学的および精神医学的評価を行い、可能性のある他の原因を除外する必要がある。初回評価には下記の検査結果を含めるべきである。
治療
解離性健忘は、ストレスや内的な葛藤など心理的な要因が原因とされている。そのため、基本的には心理的な問題に対するアプローチとしての心理療法が有効と言われている。安全感、安心感を与え、心理的に保護することが必要であるということだ。
また、不眠などの2次的な症状が起きている場合には、睡眠薬などが補助的に用いられることがある。本人の精神的な健康を回復させるために、抗うつ薬や精神安定薬が有効なこともある。
ごく短期間の記憶が失われているだけの場合、特に患者に苦痛な出来事の記憶を取り戻す明らかな必要性がない場合には、通常は解離性健忘の支持的治療で十分である。
より重度の記憶障害に対する治療は、安全で支持的な環境を構築することから始まる。この対策を講じるだけでも、しばしば失われた記憶が徐々に回復する。これで記憶が回復しない場合、または早急に記憶を取り戻す必要がある場合、催眠下において、またはまれに薬剤(バルビツール酸系またはベンゾジアゼピン系薬剤)で誘導した半催眠状態下において、患者に質問することにより回復することがある。
予防
解離性健忘は、一種の自己防衛のための「障害」と捉えることもできるため、決して本人を前にして無理やり対処しようとしてはいけないらしい。
予防対策のポイントは次の3つの視点が必要とされている。
- 安全と安定の確保
- 併存症の治療
- 想起時(思い出した時)の対応
あとがき
日本における解離性健忘の有病率については、具体的なデータが存在しないため、確かな数値は明らかになっていない。
米国で実施された地域レベルの小規模研究では、12カ月間の有病率は1.8%(男性で1%、女性で2.6%)と報告がある。米国でのニュースを見ることがあるが、不謹慎かも知れないが、変に納得してしまう統計データである。
この障害の発症原因によっては、患者本人よりも周りの大人が責任を負うべきかも知れない。
【参考資料】
MSDマニュアル 家庭版・プロフェッショナル版 |
解離性障害とは | 済生会 (saiseikai.or.jp) |