はじめに
医薬品における元素不純物は、患者の安全性に直結する重要な品質属性である。医薬品の品質と安全性を守るうえで、元素不純物の管理はますます重要になっている。
ICH Q3Dガイドラインは、製剤中の元素不純物に関するリスク評価と管理方法を体系的に示しており、元素不純物に対する国際的な基準を提供している。そのためICH Q3Dは製薬業界におけてリスク評価と管理戦略の指針となっている。
| <目次> はじめに ICH Q3Dの基本フレームワーク 日本薬局方の2024年改正とQ&A集 元素不純物とは? 元素不純物の化学形態 元素不純物のPDE値の設定根拠 分析方法の進化:ICP-MSの台頭 管理戦略のポイント 元素不純物のリスクベースド規格設定 あとがき |
ICH Q3Dの基本フレームワーク
ICH Q3Dガイドラインでは、7大クラス(Pd、Pt、Asなど)を対象にリスクベースで管理することが求められている。
- クラス分け
- Class 1~4(例:Class 1は毒性の最も高い重金属)
- リスク評価
- 製造工程/原材料由来の元素源を特定
- 許容限度(PDE)
- 許容可能な1日摂取量を算出(µg/day)
- 管理戦略
- 原料/プロセス/最終製品でのモニタリング
日本薬局方の2024年改正とQ&A集
2024年7月以降、第十八改正日本薬局方における元素不純物の管理がICH Q3Dガイドラインに完全準拠することになった。
厚生労働省は「元素不純物の取扱いに関する質疑応答集(Q&A)」を発出し、適用範囲、承認申請、リスクアセスメント、情報共有などについて明確な指針を示している。このQ&A集では、承認申請時の記載方法や企業間の情報共有のあり方など、実務的な対応が詳しく示されている。
元素不純物とは?
元素不純物とは、製造工程や原材料由来で医薬品中に微量混入する金属などの元素のことを指す。これらの元素不純物の中には毒性を持つ可能性があるため、許容曝露限度(PDE)に基づいて厳密な管理が求められている。
元素不純物の化学形態
元素不純物は単に「金属が含まれている」というだけでなく、どんな化合物として存在しているかによって、体内での挙動や毒性が大きく変わる。例えば、下記のような化学形態がある:
- 無機形態(例:酸化物、塩化物)
- 有機金属化合物(例:メチル水銀、アルキル鉛)
- 金属イオン状態(例:Fe²⁺、Cu²⁺)
なぜ化学形態が重要なのか?
同じ元素でも、化学形態によってADME(吸収、分布、代謝、排泄)が異なるからである。例えば、ヒ素(As)の場合は無機形態の方が有機形態よりも毒性が高いとされている。
ICH Q3Dでの扱い
ICH Q3Dでは、元素の化学形態に関する詳細な規定はない。しかしながら、リスクアセスメントの際には「最も毒性の高い形態を想定する」ことが推奨されている。つまり、安全側に立った評価が基本となっている。
元素不純物のPDE値の設定根拠
元素不純物のPDE値(Permitted Daily Exposure;許容一日曝露量)は、ICH Q3Dガイドラインに基づいて、患者の健康を守るために科学的根拠から導き出されている。
PDE値の設定根拠
以下のようなステップで算出されている。
- 毒性データの収集と評価
- 科学論文、政府機関の報告、国際規制基準などの公知データをもとに評価される
- 特に、最も長期にわたる動物試験の成績が重視されるが、短期試験が適切な場合はその根拠も明示される
- NOAEL(無毒性量)の抽出
- 動物試験から得られたNOAELをベースに人への影響を推定
- 安全係数の適用
- 通常は100などの修正係数を用いて、ヒトへの安全な曝露量を導き出す
- 投与経路ごとの調整
- 経口、注射、吸入など、投与経路に応じて異なるPDE値が設定される
- 吸入の場合は、呼吸器系毒性や全身毒性のデータに基づいて算出されることもある
- 健康保護の目的
- PDE値は「製剤中の元素不純物がこの値を超えなければ、限度値をさらに厳しくする必要はない」とされている
このような仕組みのおかげで、医薬品に含まれる微量の金属でも安心して使えるようになっている。
分析方法の進化:ICP-MSの台頭
最新の分析技術として注目されているのが誘導結合プラズマ質量分析法(ICP-MS)である。この分析技術は、高感度かつ多元素同時分析が可能で、極微量の元素不純物でも正確に検出できるため、ICH Q3Dに準拠した最適な分析ツールとして、製薬企業で広く導入され、今では主流の分析技術になりつつあるという。前処理としては、湿式灰化法やマイクロ波酸分解法などが用いられ、試料の溶液化がポイントとなる。
参考までに現在、利用可能な元素分析法の種類とその特徴について、下表にまとめてみた。最新の元素分析法は、感度・多元素同時測定・高速性を両立している。
| 分析法 | 検出限界 | 試料前処理 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| ICP-MS | ppt~ppb | 酸分解 (HNO₃/H₂O₂) | 最小検出限界 同位体比解析可 多元素同時 超高感度 マトリックス干渉 競合干渉管理必要 コスト高 |
| ICP-OES | ppb~ppm | 酸分解 | 高耐久 複数サンプル連続分析可 コスト低 中感度 (ICP-MSに劣る) |
| AAS | ppb~ppm | 酸分解 | 単元素高感度 単元素測定のみ 測定周期長 コスト比較的低 操作簡便 |
| XRF | ppm | 無前処理~固形分析 | 非破壊 ポータブル可 |
| LA-ICP-MS | ppt~ppb | 直接固体試料照射 | 空間分布解析 高速測定 コスト高 |
管理戦略のポイント
ICH Q3Dでは、元素不純物の管理にリスクアセスメントを導入している。そして、このリスク評価を基にして管理戦略を構築することにより、必要な元素のみを評価対象にして、過剰な試験を避けつつ、適切な品質保証を達成することを目的としている。
- リスクベースアプローチ
- 製剤の用途や投与経路に応じて、許容限度(PDE)を設定
- 製剤ごとに管理戦略を構築する
- 原薬・添加剤・容器の由来
- 製造工程での混入可能性
- 製品の投与経路と投与量
- 原薬・添加剤の評価
- 供給元からの情報収集と分析結果の統合が鍵
- 原材料の元素不純物分析レポートを要求
- リスクアセスメント
- 原料受領時にICP-OESでスクリーニング
- 高リスク元素の候補をIRTで洗い出し
- 継続的モニタリング
- プロセスコントロール
- 反応器、溶媒、触媒由来元素の起源調査
- クラス1元素はプロセスバリデーション時に定量
- 製造工程や原材料の変更に応じた再評価が必要
- 定期的にサプライヤー監査(現地監査)を実施
- プロセスコントロール
- 文書化と情報共有
- 承認申請時の記載や企業間の連携が求められる
- CTD Module 3.2.S.5にPDE算出根拠と試験法を明示
- Q3D対応リスクマネジメントプランを添付
元素不純物のリスクベースド規格設定
元素不純物のリスクベースド規格設定は、ICH Q3Dガイドラインの核心ともいえる考え方であり、「必要な場合にのみ科学的根拠に基づいて規格を設定する」という非常にスマートなアプローチでもある。具体的には、以下のようなメリットが挙げられる。
- 不必要な試験や規格設定を避けられる
- 科学的根拠に基づいた柔軟な対応が可能
- 製品開発や申請の効率化につながる
リスクベースド規格設定のポイント
- リスクアセスメントの実施
- 原薬、添加剤、製造工程、容器など、元素不純物の混入源を洗い出して評価する
- これにより、どの元素がどの程度含まれる可能性があるかを把握する
- PDE値との比較
- 実測値や予測値がPDE(許容一日曝露量)を下回っていれば、規格の設定は不要と判断されることもある
- 逆に、超える可能性がある場合は、限度試験や管理戦略が必要になる
- 製剤の特性と投与経路の考慮
- 経口、注射、吸入などの投与経路によって、元素の毒性影響が異なるから、それに応じた評価が求められる
- 管理戦略の構築
- 必要に応じて、分析法のバリデーション、限度試験の設定、継続的なモニタリングなどを行い、品質を保証する
あとがき
ICH Q3Dは、単なる規制ではなく、科学的根拠に基づく品質管理の進化を象徴するようなガイドラインである。医薬品の安全性を高めるための科学的な枠組みでもある。
最新の分析技術と戦略的な管理体制(柔軟なリスク評価)を組み合わせることで、より安全で信頼性の高い医薬品開発が可能になる。
今後の展望としては、以下のようなアプローチが期待されているようである。
- リアルタイム元素モニタリング
- オンラインICP-MSによる連続品質保証
- マイクロサンプリング
- LA-ICP-MSで微小領域の元素マッピング
- AI解析
- スペクトルビッグデータから元素不純物の起源予測
- ポータブルXRF
- 製造現場での即時スクリーニング
これらを適宜組み合わせて、自社にとって最適なQ3D管理フレームを構築することが望まれている。
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【参考資料】
| ICH 合意ガイドライン 元素不純物ガイドライン Q3D(R2) |
| 医薬品の元素不純物ガイドライン(ICH Q3D)とICP-MS:分析担当者の立場から見た現状 |
| ICH品質の最新動向 ー Q3D(医薬品の元素不純物ガイドライン)を中心にー |
| ICHガイドラインQ3D(金属不純物)に対応する医薬品等の金属不純物分析 |
| ICH Q3Dの施行と日本薬局方の改正 |
| 金属不純物の経皮吸収 |
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