はじめに
すでに承認されている薬を、別の病気の治療に応用することをドラッグリポジショニング(Drug Repositioning)と呼ぶことがある。
ドラッグリポジショニングは、既存の薬剤を新たな効能や適応症に再利用する手法で、医薬品開発の効率化やコスト削減を実現する革新的な戦略である。
既存薬が別の病気にも効く! そんな“まさか”の発見が、医療の未来を大きく変えている。 本稿では、ドラッグリポジショニングというアプローチと、その驚きの成功事例について探っていきたいと思う。
| <目次> はじめに ドラッグリポジショニングとは? アスピリンは“古くて新しい”多機能薬! 驚きのドラッグリポジショニング成功事例 (1) シルデナフィル (2) ラパマイシン (3) メトホルミン (4) イミダプリル (5) カモスタットメシル酸塩 (6) フルボキサミン(SSRI) (7) サリドマイド リポジショニングが注目される理由は? あとがき |
ドラッグリポジショニングとは?
ドラッグリポジショニング(Drug Repositioning)とは、既に承認されている薬剤から新たな効能を発見し、別の疾患の治療薬として開発する手法である。
これにより、開発期間の短縮とコスト削減が可能となる。既存薬はすでに安全性や薬物動態が確認されているため、臨床試験の一部を省略できるのが大きな利点である。
新薬開発には10年以上の長い歳月と莫大なコストがかかるが、既存薬を再利用すると、開発期間が大幅に短縮され、副作用リスクの低減も期待できる。
アスピリンは“古くて新しい”多機能薬!
アスピリン(アセチルサリチル酸)は、サリチル酸の副作用を減縮させた解熱鎮痛剤として19世紀末に独バイエル社によって開発された、歴史の長い医薬品である。
アスピリンは、頭痛や関節痛、発熱の緩和に広く用いられてきた解熱鎮痛・抗炎症薬であり、WHO(世界保健機関)のエッセンシャル・メディスン(必須医薬品)リストにも収載されている、最も歴史のある医薬品のひとつである。
リポジショニングによる新たな用途:
① 心血管疾患の予防
低用量アスピリンには血小板凝集を抑制する作用があることが明らかとなり、これを応用して心筋梗塞や脳梗塞の再発予防薬としての適応が確立された。バイアスピリン錠(腸溶錠)は、この適応における長期使用時の胃腸障害を軽減するために開発された製剤であり、本事例はドラッグリポジショニングの古典的成功例として薬学教育においても広く紹介されている。
② がん予防の可能性
近年の研究では、低用量アスピリンの長期使用が大腸がんをはじめとする一部のがんの発症リスクを低下させる可能性が示唆されており、がん予防薬としての臨床研究も進行中である。特に、慢性炎症ががんの発生に関与するという知見に基づき、アスピリンの抗炎症作用が注目されている。
アスピリンがリポジショニングに成功した理由:
下記のような要素がそろっていたからこそ、新たな用途への応用がスムーズに進んだと言われている。
- 長年の使用実績があり、安全性プロファイルが明確
- 多様な作用機序(抗炎症・抗血小板・抗腫瘍)を持つ
- 安価で入手しやすく、グローバルに普及している
アスピリンは、一世紀以上にわたって進化し続ける薬であるから驚きである。アスピリンは、“薬の再発見”の象徴であり、その姿は、まさにドラッグリポジショニングの可能性を体現していると言えるだろう。
驚きのドラッグリポジショニング成功事例
(1) シルデナフィル
シルデナフィル(バイアグラ®)は、当初、狭心症の治療薬として開発されていたが、本来の抗狭心症効果よりも臨床試験中に発見された“思わぬ副作用”から、勃起不全(ED)治療薬として最終的に開発され、世界的に大ヒットした医薬品である。
狭心症治療からED治療への転用事例である:
- 元々の用途:血管拡張による心臓の血流改善
- 転用先:ED治療、肺動脈性肺高血圧症
(2) ラパマイシン
ラパマイシンは、臓器移植後の拒絶反応を抑える免疫抑制剤として使われていたが、近年、老化を遅らせ、寿命を延ばす可能性があることが動物実験で示され、アンチエイジング研究のスター選手になっている。(詳しくは、「ラパマイシンは“長寿の鍵”となるか?大注目を集めるアンチエイジング研究」をご参照下さい。)
免疫抑制剤から“長寿薬”へのドラッグリポジショニング:
- 関連:mTOR経路の抑制による細胞老化の制御
- 応用:加齢関連疾患、免疫老化、神経変性疾患の予防
(3) メトホルミン
メトホルミンは、2型糖尿病の治療薬として長年使われてきたが、最近では、がん予防や寿命延長の可能性が注目されている。
TAME試験(Targeting Aging with Metformin)などの大規模研究も進行中であるという。
糖尿病治療薬からがん・老化研究へのドラッグリポジショニング:
- 作用:AMPK活性化による代謝調整
- 応用:老化制御、がん予防、認知症リスク低減の可能性
(詳しくは、「メトホルミンのリポジショニング:糖尿病治療薬から多機能治療薬への可能性」をご参照下さい。)
(4) イミダプリル
イミダプリル(Imidapril)は、日本で開発されたACE阻害薬(アンジオテンシン変換酵素阻害薬)のひとつである。 主に高血圧症や慢性心不全の治療に使われていて、血管を拡張させて血圧を下げる働きがある。
近年の研究で、イミダプリルがアルツハイマー型認知症などの神経変性疾患に対して有望な作用を持つ可能性が示唆されている!
脳内レニン-アンジオテンシン系(RAS)は、血圧だけでなく、脳内の炎症や酸化ストレス、神経細胞の損傷にも関与していることがわかってきた。ACE阻害薬はこの経路を抑えることで、神経炎症の抑制や神経保護作用を発揮する可能性があるらしい。
一部のACE阻害薬は脳には届きにくいが、イミダプリルは血液脳関門(BBB)を通過できるようで、中枢移行性が比較的高いとされていて、脳内RASを直接調節できる可能性があるという。
日本では、イミダプリルのアルツハイマー型認知症への応用を目指した臨床研究が進められていて、認知機能の低下抑制や神経炎症の軽減に関するデータが蓄積されつつある。
一部の研究では、アミロイドβの蓄積抑制や神経細胞の保護効果が報告されていて、疾患修飾的な効果(病気の進行を遅らせる)が期待されているという。
高血圧治療薬からアルツハイマー病の進行抑制へ:
- 本来の用途:高血圧治療薬(ACE阻害薬)
- 新たな可能性:脳内の炎症抑制作用により、アルツハイマー型認知症の進行を遅らせる可能性が示唆され、臨床研究が進行中である
上述のように、イミダプリルは元々は高血圧治療薬として開発されたACE阻害薬だが、近年では脳内RASの調節を通じて、アルツハイマー型認知症などの神経変性疾患への応用が期待されている。これは、ドラッグリポジショニングの新たな可能性を示す、注目すべき研究分野である。
(5) カモスタットメシル酸塩
カモスタットメシル酸塩(Camostat mesilate)は、セリンプロテアーゼ阻害薬で、体内の特定の酵素の働きをブロックすることで、炎症や組織損傷を抑える医薬品である。
このようにカモスタットメシル酸塩は、元々は消化器疾患の治療薬として開発されたが、TMPRSS2阻害を介してウイルス感染症や線維化疾患への応用が期待されている。これは、日本発のドラッグリポジショニングの好例であり、今後の臨床応用が注目されている。
リポジショニングの新たな可能性:COVID-19治療候補に
① COVID-19治療薬候補としての注目
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は、TMPRSS2という宿主の酵素を使って細胞に侵入する。カモスタットはこのTMPRSS2を阻害することで、ウイルスの細胞侵入をブロックする可能性があるとされ、世界中で研究が加速した。
主な研究動向としては、
- ドイツの研究チーム(2020年)が、カモスタットがin vitroでウイルス侵入を抑制することを報告
- 日本や韓国でも臨床試験が実施され、軽症〜中等症患者への効果が検証された
- 臨床試験の結果はまだ限定的で、単独での有効性は明確ではないものの、他の抗ウイルス薬との併用や早期投与の可能性が引き続き検討されている
② 肺線維症や膵線維化への応用
カモスタットは、線維化に関与するプロテアーゼ活性を抑制することから、肺線維症や膵線維化といった慢性炎症性疾患への応用も期待されている。特に、COVID-19後遺症としての肺線維症への介入薬として、研究が進められている。
③ 神経疾患やがんへの可能性も?
一部の研究では、神経炎症やがん細胞の浸潤に関与する酵素活性にもカモスタットが作用する可能性が示唆されており、中枢神経疾患やがん治療への応用も模索されている。
(6) フルボキサミン(SSRI)
フルボキサミンは、元々はSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)としてうつ病や不安障害に用いられてきたが、近年ではσ-1受容体を介した抗炎症・免疫調整作用に注目が集まり、COVID-19や慢性炎症性疾患への応用が期待されている。これは、精神科領域の薬が感染症や免疫疾患に転用されるという、ドラッグリポジショニングの新たな可能性を示している。
リポジショニングの新たな可能性:抗炎症作用で注目される
① COVID-19に対する治療薬候補としての注目
フルボキサミンが新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に有効かもしれないという報告が、2020年以降に急浮上した。
その理由は、フルボキサミンは、σ-1受容体という細胞内タンパク質に作用するが、この受容体は炎症性サイトカインの過剰産生(サイトカインストーム)を抑える働きがあるとされていて、重症化の予防に役立つ可能性があるからである。
主な研究例としては:
- 2020年の米国の小規模臨床試験では、フルボキサミンを投与されたCOVID-19患者で、入院や重症化のリスクが低下したという結果が報告された
- その後、TOGETHER試験(ブラジル)などの大規模臨床研究でも、早期投与による入院リスクの低下が示唆されている
- 現時点では標準治療としての承認はされておらず、さらなる検証が求められている段階である
② 抗炎症・免疫調整作用への注目
フルボキサミンは、抗うつ作用とは別に、炎症性サイトカイン(IL-6やTNF-αなど)を抑制する作用があるとされている。これにより、慢性炎症性疾患や神経変性疾患(例:パーキンソン病、アルツハイマー型認知症)への応用も研究されている。
(7) サリドマイド
サリドマイドは、1950年代後半に睡眠薬・つわり止めとして販売されていたが、胎児の四肢欠損(先天性奇形)を引き起こすことが判明し、世界的な薬害事件に発展した。 この事件は、医薬品の安全性評価と規制強化の契機となり、薬の歴史に深い爪痕を残した。
ところが、1990年代に、サリドマイドには血管新生抑制作用や免疫調整作用があることが再発見され、多発性骨髄腫(MM)などの血液がんに対する治療薬としての可能性が注目された。
特に、以下のような薬理作用が、がん免疫療法の文脈で評価されるようになった:
- TNF-αの抑制
- T細胞・NK細胞の活性化
- 腫瘍微小環境の制御
そして、サリドマイドの化学構造を改良したレナリドミド(Revlimid®)やポマリドミド(Pomalyst®)といった免疫調整薬(IMiDs)が開発され、 現在では多発性骨髄腫や骨髄異形成症候群(MDS)などの治療薬として広く使われている。
これにより、サリドマイドは「薬害の象徴」から「がん治療の柱」へと、劇的なリポジショニングの成功例となった。
ここで、サリドマイドのリポジショニングの成功のポイントを下表にまとめてみた。
| 要素 | 内容 |
|---|---|
| 作用機序の再発見 | 血管新生・免疫調整など、当初想定されていなかった多面的作用が明らかになった |
| 構造最適化 | 奇形リスクを低減しつつ、治療効果を高める誘導体(IMiDs)を開発 |
| 適応疾患の明確化 | 多発性骨髄腫など、アンメットニーズの高い領域への応用 |
| 厳格なリスク管理 | REMS(Risk Evaluation and Mitigation Strategy)など、再発防止策の徹底を実行 |
このように、サリドマイドのリポジショニングは、科学的再評価と社会的責任の両立によって実現した成功例と言えるでしょう。
このリポジショニングの成功事例は、「既存薬の再活用」がいかに新たな治療の扉を開くかを示すと同時に、過去の教訓をどう未来に活かすかという問いを私たちに投げかけている。
リポジショニングが注目される理由は?
ドラッグリポジショニング(Drug Repositioning)が、今、世界的に注目されている理由は、まさにスピードと柔軟性を兼ね備えた医療の切り札になる可能性が高いからである。このような試みは、パンデミック時にも、既存薬のCOVID-19への応用が世界中で試みられたことからも記憶に新しい。
- 開発コストが低い(既に安全性が確認されている)
- スピーディーに臨床応用が可能
- 新たな治療選択肢の創出(特に難病や希少疾患)
あとがき
ドラッグリポジショニングは、偶然の発見と科学の探究心が生んだ奇跡の連続であると言えるだろう。 これからも、思いがけない既存薬がまったく新しい命を救う鍵になるかも知れない。それは、ライフサイクルが年々短くなっている医薬品の“第2のライフ”が医療の未来を変えることになるかも知れないチャンスでもあり得る。
私たちの身近にある医薬品にも、まだ知られていない“隠れた力”が眠っているかも知れないと思うと、自ずと期待に胸が躍る!