はじめに
抗体医薬は、バイオ医薬の代表的な一種で、特定のターゲット分子に対する高い特異性と選択性を持つことから、多くの疾患の治療に利用しようと研究開発が盛んに行われている。
近年、次のような背景や理由によって世界的に抗体医薬の開発が活発となっている。
- ゲノム創薬の進展に伴い疾病関連遺伝子あるいは疾病関連タンパク質などが明らかとなりつつあること
- 疾病関連生体高分子に特異的に作用する物質としてはモノクローナル抗体が適していること
- 組換えタンパク質製造技術の進展により種差の壁を越えてキメラ抗体、ヒト化抗体、ヒト抗体の製造法が確立したこと
抗体医薬品の開発は、非常に多層的なプロセスであり、各ステージで独自の役割と挑戦がある。
抗体医薬の開発ステップは、一般的には次のような順で進められる。勿論、一部のステップは並行して実施されることもある。
- ターゲットの同定
- 抗体の生成
- 抗体の最適化
- 製造プロセスの確立
- 品質評価
- 前臨床試験
- 臨床試験
本稿では、抗体医薬品の開発ステップにおける探索研究、非臨床及び臨床試験の役割と課題について取り上げたい。CMC関連の製造プロセスや品質評価については別稿で取り上げたいと思う。
<目次> はじめに 探索研究 ターゲットの抗原の同定と検証 抗体候補のスクリーニングと最適化 特異性と免疫原性 候補抗体の生成と最適化 製造プロセスの確立と品質評価 非臨床試験 細胞実験 動物試験 交差反応 毒性評価 免疫原性 長期安全性の評価 動物モデルの限界 次世代抗体の評価 新規試験システムの導入 臨床試験 第I相試験 第II相試験 第III相試験 第IV相試験 規制対応と倫理性 被験者の多様性 高コスト・長期性 免疫関連の問題 あとがき |
探索研究
探索研究(Discovery Research)の段階では、まず治療標的となる分子や病態の特徴が解明され、次にその標的に対して最適な抗体候補が発見、選定される。
探索研究は、抗体医薬品開発の出発点である。この段階では、まず疾病の病態解明から始まり、ターゲットとなる抗原の特定、さらにその抗原に対して有望な抗体候補を発見することが求められる。
ファージディスプレイ技術やハイスループットスクリーニング、B細胞の解析などを用いて、候補抗体の特異性、親和性、及び機能性を検証し、候補選定を行う。
取得したデータは、その後の抗体のエンジニアリングやヒットからリードへの移行に重要な基盤情報となる。
課題としては、莫大な数の候補の中から臨床応用に適したものを迅速かつ正確に選抜するスクリーニング技術の高度化、さらに初期段階での抗体の物性評価や製造適性(スケールアップ時の品質保持など)の確保が挙げられる。
また、この探索研究の段階では膨大な候補から本当に効果的な抗体を洗い出す必要があり、その過程は時間とコストを要する。特に、抗体の構造や機能は非常に複雑で、技術的課題も生じる。
ターゲットの同定と検証
病気のメカニズムに関与するタンパク質や細胞表面分子が候補として選ばれ、標的の有用性や治療の可能性が評価される
治療を目指す疾患に関与する分子や細胞を特定する。最新の高精度技術が要求されるため、技術者間での知識・技術のばらつきやスクリーニング技術自体の限界も存在する。
抗体候補のスクリーニングと最適化
大量の候補抗体から、結合親和性、特異性、活性、安定性、及び免疫原性といったパラメータをクリアするものが選ばれ、分子設計やエンジニアリング技術を駆使して更に最適化される。
特異性と免疫原性
望ましいターゲットだけを狙う一方で、非標的組織への影響や免疫反応の誘発を回避する必要がある。
候補抗体の生成と最適化
ハイブリドーマ技術やフェージディスプレイ技術などを用いて、ターゲットに対する抗体を生成する。
最適化は、抗体の親和性や安定性を改善するための工程である。また、ヒト化(人間の抗体としての性質を高める)もこの段階で行われる。
製造プロセスの確立と品質評価
初期スクリーニングから分子改変、そしてさらなる最適化へと進む際、各工程で最適条件を整えることは容易ではないが、製造プロセスを確立する必要がある。製品の品質評価は不可欠である。
非臨床試験
探索研究で選定された抗体候補は、次に非臨床試験(Preclinical Studies)に移行し、安全性、薬物動態(PK)、薬力学(PD)および毒性の評価が行われる。非臨床試験は、新しい医薬品が人間に投与される前に行われる試験で、非臨床試験の結果は新しい抗体医薬品の開発において重要な情報を提供する。これらの試験結果を基に、医薬品の安全性と効果を評価し、臨床試験へと進むことができる。
- in vitro 試験
- 細胞培養系を利用して、抗体の作用機序や標的との相互作用、ならびに初期の毒性指標が評価される
- in vivo 試験
- 動物モデル(例えばマウスやラット)を用いた試験により、薬物動態(吸収、分布、代謝、排泄)や全身性の安全性、短期・長期毒性が検証される
前臨床試験における大きな課題は、動物モデルの結果をヒトにどこまで適用できるかという「翻訳性」の問題である。
種特異性の違いや動物実験における生体反応のバラツキが、ヒトでの安全性・有効性予測に影響を及ぼす可能性があるため、慎重なデータ解釈と補完的な評価手法の導入が必要である。
また、倫理的配慮や実験動物の福祉に対する厳格な基準の遵守も常に求められている。
細胞実験
in vitro で抗体の結合強度や機能、細胞レベルでの効果を確認する。
動物試験
選定された抗体が生体内でどのように分布し、代謝され、排泄されるかを評価し、また有害反応や毒性の発現を確認する。
交差反応
抗体医薬品の非臨床試験では、ヒトのターゲット分子を認識する抗体が交差反応することの多いサルを用いることが一般的である。
毒性評価
抗体医薬品は従来の低分子医薬品と比べて安全と思われていたが、抗体特有の毒性も報告されており、非臨床における安全性評価の重要性は増している。
免疫原性
抗体医薬品は、投与された抗体に対する抗薬物抗体(anti-drug antibody;ADA)が産生される可能性がある。過剰に産生されたADAは薬剤過敏症反応を誘導するだけでなく、投与された抗体医薬品を中和してその治療効果を減弱させる可能性がある。
長期安全性の評価
急性毒性ではなく、長期使用時の副作用や免疫反応の持続的な影響の評価も求められる。
動物モデルの限界
抗体医薬品の非臨床安全性試験では、ヒトのターゲット分子を認識する抗体が交差反応することの多いサルを用いることが一般的である。
ICH S6ガイドラインは、サロゲート抗体は品質や薬物動態並びに厳密な意味での薬理作用機序が異なっている可能性を指摘しており、ヒト用の抗体医薬品をサルに投与する試験が、その動物にとっての相同タンパク質をターゲットにしたサロゲート抗体や、ターゲット分子を発現するトランスジェニック動物を用いる試験よりも優先すべきことを推奨している。
現在では抗体の精製工程はかなり定型化されており、サロゲート抗体だからといって品質が大幅に劣ることは考えにくいが、動物モデルがヒトの病態や免疫反応を正確に再現できない場合があるので、得られた結果の解釈に注意が必要である。
近年、明らかになった英国におけるTGN1412の事故は、抗体医薬の種類によっては、臨床試験を開始するにあたって、従来のガイドラインはヒトでの危険性を予知するのに十分ではない可能性を示唆するものであった。
特に、今後開発が活発化すると言われているアゴニスト抗体の場合は、作用メカニズムの検討を含めた、さらなる安全性への配慮が必要となると思う。
サルにとってヒト用抗体医薬品はFc機能などが自身のものとは異なるサロゲート抗体であり、動態や薬理作用機序が厳密な意味でヒトと同一にはならない。このため、抗CD28抗体TGN1412のように、人における致死的な副作用をサルでは検出できないということが起きるのかも知れない。
TGN1412のサル28日間試験におけるNOAELは50mg/kg以上と判断され、十分なセーフティーマージンを取って0.1 mg/kgがヒト臨床初回用量として選択されたにもかかわらず、投与された被験者全員がサイトカインリリースシンドロームに陥り、危うく命を落とすところだったと報告されている。
この事例は、極端な例であるかも知れないが、抗体医薬品ではサル試験の結果からヒトの副作用をどの程度予測可能なのか、予測が難しいケースとはどういった場合であるのかを調べる必要がある。その上で、サルの試験成績のヒトへの外挿性がどの程度有用であるのか、つまりサル試験の結果をどのように非臨床安全性評価に使うべきかをより慎重に検討する必要があるようにと思う。
次世代抗体の評価
二重特異性抗体と抗体薬物複合体(ADC)は、次世代の抗体モダリティとして注目されており、近年複数の薬剤が承認を取得している。しかし、これらの技術は未だ発展の途上であり、予期せぬ毒性が認められる例もあるため、注意深く安全性を評価する必要がある。
新規試験システムの導入
3Dオルガノイドやマイクロ流体デバイスなど、従来の動物モデルに代わる新たな評価システムの開発が必要となる。これらの新しい試験システムの導入が期待される一方で、これら技術の標準化と再現性の確保が課題となっている。
抗体医薬を医薬品として開発する上での非臨床試験での安全性評価について考慮すべきポイントは、ICHのバイオ医薬品の品質関係あるいは非臨床関係のガイドラインを参照しながら抗体医薬を開発することである。さらには、FDAあるいはEMAから公表されているガイドラインを参照することであると思う。
臨床試験
非臨床試験で十分な安全性と有効性の初期エビデンスが得られた後、ヒトを対象とした臨床試験(Clinical Trials)に入る。臨床試験は、通常、以下の段階に分かれる。
- フェーズI試験
- 少数の健常者または患者を対象に、主に安全性、忍容性、及び薬物動態の初期評価が行われる
- 投与量の調整や副作用の初期確認が目的である
- フェーズII試験
- より多くの患者を対象に、抗体医薬品の有効性と最適な投与スケジュールの評価を実施する
- 同時に、さらなる安全性データも収集される
- フェーズIII試験
- 大規模な多施設試験を通じて、治療効果の確証、長期的な安全性の評価、及びリスクとベネフィットのバランスの検証が行われ、規制当局への承認申請に向けた決定的なエビデンスが構築される
臨床試験での主な課題は、被験者の適切なリクルート、多機関連携の下でのデータ整合性、試験デザインの最適化、また、抗体医薬品特有の免疫関連副作用や予見しにくいリスクへの迅速な対応である。
被験者の多様性や長期間にわたるフォローアップの実施も、試験の信頼性や実施効率に大きな影響を与えるため、非常に高度な管理体制が必要となる。
臨床試験は、ヒトを対象とした最終段階で、抗体医薬品の安全性と有効性を検証する場である。各フェーズには特色があり、段階的にリスクと効果を評価する。
第I相試験
安全性、耐容性、及び初期の薬物動態の評価が主目的である。被験者は通常少数であり、低用量から段階的に増量される。
第II相試験
一定数の患者を対象に、治療効果のエビデンスと最適用量、投与スケジュールを検討する。
第III相試験
より大規模な無作為化比較試験を通じ、治療の有効性とリスクを確定的に評価し、規制当局への申請資料としてまとめる。
第IV相試験
市販後の長期的な安全性や希少な副作用の監視、また実際の使用環境下での有効性評価が行われる。
臨床試験には、多くの複雑な要因が絡むため、課題も多い。
規制対応と倫理性
各国の法規制や倫理的な観点から試験設計と実施が求められるため、手続きやデータ管理の複雑性が増している。
被験者の多様性
患者個々の病態、免疫状態、併用薬の影響など、ヒト特有の変動要因が治療効果や副作用に大きく影響するため、統計的な解析と慎重な評価が必要である。
高コスト・長期性
試験実施のために巨額の投資が必要であるとともに、試験期間が長期に及ぶため、途中での中断リスクや新たな標準治療との比較評価など、計画通り進行しない可能性がある。
免疫関連の問題
特に抗体医薬品では、ヒトにおける免疫原性の発現(抗薬物抗体の生成)や、意図しない免疫副作用の評価が重要であり、これらの予見と管理が難しい面がある。
あとがき
抗体医薬品の開発は、その高い治療効果が期待される一方で、発見から商業化までの各ステップで多くの技術的および運用上の困難に直面する。
探索研究における精密な候補選定、非臨床試験での翻訳性の確保、そして臨床試験での厳密な安全性・有効性評価といった各フェーズでの挑戦は、技術革新や最新の解析手法、国際的な連携を通じて徐々に克服されている。
また、近年は人工知能(AI)やバイオインフォマティクスの導入、さらにはオミクス解析手法の発展などにより、より効率的な抗体の探索・開発プロセスが模索されている。こうした技術の進化に伴い、今後はより個別化医療や、複雑な病態に対する多角的なアプローチが期待され、医薬品開発の現場はますますダイナミックな変化を遂げると期待されている。
探求型の研究、非臨床試験、臨床試験それぞれでの課題を乗り越えるため、近年では最新のテクノロジーやデータ解析手法が導入されている。例えば、候補抗体のスクリーニングや最適化、さらに臨床データの解析において、AIを活用し効率化と精度向上を図る試みである。
治療効果や免疫反応をリアルタイムでモニタリングするためのバイオマーカーを探索し、より個別化された治療法の開発を目指している例もある。
このように、抗体医薬品の開発には、最初のターゲット探索から臨床試験に至るまで、各段階で密接に連携しながら高度な技術と慎重な評価が求められる。
また、抗体医薬品は、単一療法だけでなく、他の治療法との併用や、抗体薬物複合体(ADC)、二重特異性抗体など、革新的な応用も進められている。これらは従来の開発プロセスに新たな視点と課題をもたらしている。
これらのプロセスはそれぞれ特有の役割と挑戦を伴い、また将来的な技術革新とともにさらに進化していく分野と言えるかも知れない。
今後、規制当局や研究機関、製薬企業が連携して、効率的かつ安全な開発プロセスの確立を目指すことが重要となると思う。