はじめに
慢性疾患では患者のQOL向上を目指し、シリンジやオートインジェクター(Auto ingector)での皮下注製剤が期待されている。
抗体医薬品の皮下注射剤の開発では、皮下投与可能な薬液量(1 mL程度)を実現させるために高濃度の抗体薬液で安定な処方を見つける必要がある。
抗体医薬の皮下注射剤や高濃度製剤の製剤化については、タンパク質の凝集を抑制することが重要な課題となっている。それは、抗体を高濃度にすることで容易に会合化・凝集が起こるためである。例えば、アクテムラの製剤開発では、点滴静注用の20 mg/mLから皮下注用の180 mg/mL以上の主剤濃度を目指す必要があり、このような高濃度化を達成するためには、タンパク質の凝集を抑制する技術が必要となる。
抗体医薬の高濃度化は、投与量の軽減や治療効果の向上など大きなメリットがあるが、一方でタンパク質の凝集が大きな課題となる。タンパク質が凝集すると、免疫原性が上がる可能性や製剤の品質低下、さらには投与時の安全性への影響が懸念されるため、これを防ぐための抑制剤(凝集抑制剤)が不可欠となる。
高分子電解質を利用したタンパク質医薬品の沈殿–再溶解法がタンパク質の凝集抑制法として知られている。この方法を用いれば、迅速かつ簡便にタンパク質溶液を高濃度化でき、さらに、PPC沈殿は通常の溶液状態よりも安定であるとされている。
しかしながら、これらの技術がすべての抗体医薬品に適用可能であるわけではなく、各抗体医薬品の特性に応じた最適な製剤化技術の開発が求められている。抗体医薬品の皮下注射剤/高濃度製剤の製剤化のためのタンパク質凝集抑制のための研究の重要性が高まっている。
本稿では、抗体医薬の製剤において用いられる主なタンパク質凝集抑制剤について、カテゴリー別に学んでいきたいと思う。
<目次> はじめに タンパク質の凝集抑制という課題 解決策としてのタンパク質の凝集抑制剤 タンパク質の凝集抑制剤候補 アルギニン ポリアミン アミノ酸アルキルエステル 界面活性剤 糖類・ポリオール 高分子添加剤(ポリマー系) バッファー及び塩類 その他の添加剤や新規化合物 あとがき |
タンパク質の凝集抑制という課題
タンパク質は、アミノ酸がペプチド結合で連なった鎖状の生体高分子であり、アミノ酸同士が相互作用することにより非常に精巧な立体構造を形成することができる。
タンパク質は、一般的に水溶液中では不安定であり、天然の立体構造の変化やタンパク質の会合などが原因で、凝集しやすいという性質がある。この品質変化によってタンパク質の構造が変性したり、活性が阻害されたりする。抗体医薬などタンパク質を有効成分とする医薬品では、このタンパク質の特性が安定性の問題を引き起こすことがある。
抗体医薬品の皮下投与製剤を開発するには高濃度製剤を開発する必要がある。その理由は、皮下投与のためには薬液量を1.0~1.5 mLにしなければならないためである。しかしながら、皮下投与製剤の開発のために高濃度の薬液にしようとするとタンパク質が会合を起こし、凝集するという問題が生じる。
抗体医薬品では抗体の凝集に起因する薬液の高い粘性が問題となり、注射剤開発の妨げとなっている。すなわち、有効成分であるタンパク質の会合・凝集を抑制し、高濃度製剤を安定化させる技術が必要なわけである。
このような問題を解決するためには、安全で、タンパク質の凝集を抑制し、粘度の低いタンパク質溶液が調製できるようなタンパク質の凝集抑制剤の開発が待たれている。
解決策としてのタンパク質の凝集抑制剤
タンパク質の凝集とは、本来は水溶液中で分散していたタンパク質分子が多数集合し、大きな塊状になる現象のことをいう。凝集は、タンパク質が何らかの要因で立体構造を失い、内部に埋もれていた疎水性アミノ酸が露出して分子間で会合しやすくなることで引き起こされる。
もし、凝集を抑制する能力が高いタンパク質の凝集抑制剤を見つけ、それを製剤化に使用することができるなら高濃度製剤を開発することができるはずである。
特定のアミノ酸を加えるとタンパク質の凝集を抑制することが知られている。また、特定の界面活性剤を添加してタンパク質の溶解性を向上させると凝集が抑制されることも知られている。そこで、タンパク質の凝集抑制剤として機能する特定のアミノ酸とタンパク質と弱い相互作用をもつ界面活性剤について調査してみることにした。さらに最近の研究成果についても調べてみた。
タンパク質の凝集抑制剤候補
アルギニン
L-アルギニンは、タンパク質を不安定化させずにリフォールディング収率だけを上げる優れた添加剤であることが知られている[1][2]。D-アルギニンも L-アルギニンと同様にタンパク質の凝集を抑制する効果があるらしい[3]。
高濃度抗体医薬品の製剤では、タンパク質分子同士が過剰に相互作用し、凝集が起こりやすくなるが、アルギニンの持つグアニジノ基がタンパク質表面の疎水性部分および荷電部分に結合し、直接的な分子間接触を妨げることで、凝集の進行を抑制する効果が報告されている[4]。
疎水性側鎖を持つアミノ酸よりも極性側鎖を持つアミノ酸の方が凝集抑制に効果がみられるようだが、アミノ酸の中でアルギニンが最もタンパク質の凝集を抑制する効果が高いということであるが[3]、何故そうであるのか非常に興味深い。
このアルギニンによるタンパク質凝集の抑制効果は、タンパク質の特性や溶液条件(例えば、pHやイオン強度)に大きく依存するらしい。実際、多くの研究では十分な抑制効果を得るために、0.5~1.0 M という高濃度のアルギニン添加が必要とされる場合もあるという[4]。
過剰な添加は粘度の上昇や他の製剤特性(安全性や薬理学的影響)に影響する可能性があるため、製剤開発においては最適な添加量の検討が不可欠である。
アルギニンは抗体の溶解性を向上させると同時に、分子間の不要な接触を防ぐ効果があるため、製剤開発において頻繁に利用されている。
実際には、アルギニン単独で十分な安定性が得られないケースもあり、界面活性剤や高分子添加剤(例:ポリエチレングリコールなど)との併用が一般的である。これにより、各添加剤の持つメリットを相互補完させ、より一層安定した高濃度抗体医薬品の製剤化が実現されている。
ポリアミン
ポリアミンと総称されるプトレッシン、スペルミジンやスペルミンは、全ての生物が細胞内に持つ小分子で、細胞分化や増殖の因子にもなる重要な物質である[4]。ポリアミンは、アルギニンよりもタンパク質の凝集抑制能が高いことが報告されている。アルギニンと比べて一桁低い濃度でも効果があることは、現実的な面で大きな利点となる[5]。
ポリアミンの場合、タンパク質表面に結合して見かけのネットチャージをプラスに増加させ、タンパク質間の衝突を抑制していると考えられている[5]。タンパク質工学的な研究によると、タンパク質のネットチャージと凝集速度は関係がみられるので[6]、 小分子がタンパク質表面に結合してタンパク質間の静電的反発を生じさせて分子間衝突を抑制するといった説明には納得がいくと解説されている[4]。
アミノ酸アルキルエステル
アミノ酸アルキルエステルは、カルボキシル末端がメチル化やエチル化されたもので、アミノ基の pKaはアミノ酸よりも 2pH 単位、酸性にシフトしている。側鎖にもよるが、pH 7.5 以下ではアミノ末端が正電荷を帯び、アミノ酸よりは分子内極性が高い。
アミノ酸アルキルエステルは、アルギニンよりも低濃度で効果が高い凝集抑制能があるらしい。アミノ酸アルキルエステルの作用機構はまだ分かっていないが、修飾された非極性カルボニル末端がうまくタンパク質と疎水性相互作用し、アミド末端の静電的反発をタンパク質表面に生じさせて分子間会合を抑制すると考えられている[4]。
界面活性剤
非イオン性界面活性剤は、タンパク質が容器の表面や気液界面に吸着して変性・凝集するのを防ぐ効果がある。たとえば、ポリソルベート20(Tween 20)やポリソルベート80(Tween 80)がよく利用され、これらはタンパク質と界面との相互作用をマスクして、製剤中での不均一な分布やストレスの影響を低減する。
糖類・ポリオール
スクロース、トレハロース、グルコースなどの糖類およびマンニトールやグリセロールなどのポリオールは、タンパク質周辺の水和層を強化することで構造を安定させ、凝集を抑制する。
これらの糖類やポリオールは、タンパク質の「周囲の環境」を整え、熱や冷凍・乾燥といった物理的ストレスからも保護する作用があるとされる。
高分子添加剤(ポリマー系)
ポリエチレングリコール(PEG)やポリビニルピロリドン(PVP)などの高分子添加剤は、タンパク質分子間の直接的な接触を物理的に遮断することで、凝集が起こるリスクを下げる。
さらに、高分子は溶液中での粘度や立体障害的効果を通じて、タンパク質の分散性を向上させる場合もあるという。
PEGやその他の高分子(例えば、ポリオキシエチレン系添加剤)は、抗体分子の溶液中での相互作用を緩和し、凝集防止効果を発揮することが知られている。これらの高分子は、単独で使われるだけでなく、他の界面活性剤や低分子添加剤と併用することで、より高い安定性が実現される場合もあるという。
バッファー及び塩類
製剤のpHやイオン強度はタンパク質の電荷状態に大きな影響を与え、結果として凝集の傾向にも影響する。
適切なバッファー(ヒスチジン緩衝液、リン酸バッファーなど)や塩類(例えば、ナトリウム塩)を用いることで、タンパク質の表面に働く静電反発が強化され、凝集が低減される効果が期待できる。
製剤条件に合わせたバッファーの設計は、抗体の長期保存性や安全性を高める上で重要なポイントとなる。
その他の添加剤や新規化合物
近年は、疎水性相互作用に介入する低分子や、新規のポリマー複合体、さらにはナノスケールのキャリアを利用した添加剤なども研究されている。
これらは、タンパク質固有の相互作用や局所環境を精密に調節することで、従来の添加剤では得られなかった安定化効果を発揮する可能性がある。
タンパク質凝集抑制剤としてペプチド界面活性剤を利用する場合もある。タンパク質凝集抑制剤の候補となり得るペプチド界面活性剤には、例えば、頭部が4〜10の親水性アミノ酸からなり、尾部が1又は2の疎水性アミノ酸からなる構造を有している(JP2011-126855A)という。
また、タンパク質と高分子電解質の相互作用を利用し、抗体の濃縮と安定化を図る方法が提案されている。具体例としては、抗体溶液にPEG 化高分子電解質を添加すると可溶性のタンパク質–高分子電解質複合体(PPC;Protein–Polyelectrolyte Complex)が形成されるが、この非共有結合的PEG化がタンパク質の安定化に寄与するとされる[7]。
あとがき
抗体医薬の高濃度化においては、アルギニンのような疎水性相互作用抑制剤、界面活性剤、バッファー・塩類、そして高分子添加剤などの適切な組み合わせによって、タンパク質の凝集抑制が図られている。各添加剤の選択と最適な配合条件は、抗体の分子特性や製剤の使用条件に応じて慎重に検討される必要がある。
これらの各タンパク質凝集抑制剤の作用メカニズムや、最新の開発事例、さらには具体的な製剤プロセスにおける最適化手法などをより詳しく掘り下げることで理解も深まるはずである。そうすることで、例えば、どの界面活性剤が特定の抗体に最も適しているのかが分かるようになると思う。また新規添加剤の安全性評価や長期安定性についてさらに議論を深めると、今後の製剤開発に大きな示唆が得られるかも知れない。
最新の研究動向としては、 従来の添加剤に加え、新規の低分子化合物やカスタムポリマー、そしてポリイオン複合体を形成する方法などが注目されている。これらは、抗体分子の個々の性質に合わせた最適な相互作用を誘導し、凝集抑制だけでなく、抗体の機能保持や免疫原性低減にも寄与するため、将来的に高濃度抗体医薬の製剤開発に大きな可能性をもたらすと期待されている。
さらに、ラマン分光法を活用した凝集性評価も研究開発の有用なツールになると期待できる[8]。ラマン分光法を用いることで、高濃度溶液中のタンパク質構造を解析し、凝集を防ぐ最適な製剤条件を検討できるようになるからである。
【参考文献】
1 | Rudolph, R. and Lilie, H. (1996) FASEB J. 10, 49-56. |
2 | Buchner, J. and Rudolph, R. (1991) Biotechnology 9, 157-162. |
3 | Shiraki, K., Kudou, M., Fujiwara, S., Imanaka, T. and Takagi, M. (2002) J. Biochem. (Tokyo) 132, 591-595. |
4 | 白木 賢太郎, 生物物理, 44, 2, 87-90 (2004) |
5 | Kudou, M., Shiraki, K., Fujiwara, S., Imanaka, T. and Takagi, M. (2003) Eur. J. Biochem. 270, 4547-4554. |
6 | Maeda, Y., Ueda, T., Yamada, H. and Imoto, T. (1994) Protein Eng. 7, 1249-1254. |
7 | タンパク質溶液の理解と凝集体の形成の制御 |
8 | 高濃度溶液中のタンパク質構造解析~凝集を防ぐ抗体医薬品の最適な製剤条件検討~ |