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基礎知識 苦味マスキング 製剤技術

生化学的アプローチによる苦味マスキング技術

はじめに

薬物治療において代表的な経口固形製剤である錠剤は最も扱いやすい剤形であるが、サイズが大きい場合には小児や嚥下機能に問題がある高齢者にとっては服用困難な場合がある。

また、服用の際に飲料水を直ちに準備できない場合や水分摂取が制限されているような場合、通常の錠剤の服用は難しい。

このような問題点を改善するために、口腔内の唾液でも十分に崩壊するので小児や高齢者でも容易に服用できる口腔内崩壊錠(Orally Disintegrating Tablets; OD錠)が製剤開発され、医薬品として市販されるようになっている。

しかしながら、OD錠では口腔内で有効成分(薬物)が放出されることから、もし薬物が不快な味や刺激性を有していればOD錠から崩壊・溶解した薬物は、舌表面の味細胞に速やかに接触して苦味や刺激性を呈する。これらの製剤では、患者の服薬アドヒアランスの低下を防ぐために薬物の苦味や刺激性のマスキングが必要となる。


服薬アドヒアランスは、薬物投与による治療効果を確実なものにするために非常に重要である。どんなに優れた医薬品を開発しても患者さんに服用してもらえなければ医薬品としての価値を発揮できないからである。

以前は、服薬コンプライアンスという用語が用いられていたが、医者の指示にただ服従・遵守(コンプライアンス)するのではなく、患者が治療方針の決定に賛同し、積極的に治療を受けること(アドヒアランス)がより重要であるという考え方に変わってきている。


苦味マスキング技術としては、フィルムコーティングを施して薬物と舌の味細胞との物理的接触を避ける製剤的手法によるマスキング技術(物理的アプローチ)、甘味料や香料を製剤中に混合して薬物の不快な味を矯味する手法によるマスキング技術(官能的アプローチ)、薬物分子とマスキング剤分子の相互作用あるいはマスキング剤の味細胞膜への吸着作用によって、薬物分子の味細胞膜への吸着を阻害する方法によるマスキング技術(生化学的アプローチ)が知られている。

物理的アプローチ及び官能的アプローチは、実際に製剤開発に活用されることが多く、その成功例や実施例を文献や特許明細書で目にする機会も多い。一方で、生化学的アプローチの成功例や実施例は物理的アプローチや官能的アプローチに比べると圧倒的に少ない。

生化学的アプローチの実用化例が少ない理由は、医薬品の製造に使用可能な添加剤(医薬品添加物)の中に苦味マスキング剤として認可されているものがほとんどないからである。

本来、溶出改善(バイオアベイラビリティ向上)を目的として使用されてきたシクロデキストリンと薬物の包接複合体形成が苦味マスキングにも有用性があることが報告されているが、このような化学的アプローチの実用化例は希少である。

食品などによく使用されている添加剤であっても簡単には医薬品添加物として使用することはできない。医薬品添加物として使用前例のないものはすべて新規添加物と扱わなければならない。安全性データを示して医薬品添加物としての使用許可を得る必要があるので結構ハードルが高いと言える。

このような状況であるため、生化学的アプローチを積極的に製剤化に活用する機会がこれまで全くなった。製剤研究技術者として現役を終えるにあたりやり残した仕事の一つとして化学的アプローチを主とする苦味マスキング技術に向き合うことにした。


物理的又は官能的アプローチによるマスキング技術

物理的アプローチによる苦味マスキングのコンセプト

医薬品の苦味マスキングの基本的な設計コンセプトは、薬物のバイオアベイラビリティ(生物学的利用能)を低下させることなく、口腔内での薬物の初期溶出を抑えることである。

フィルムコーティングなど物理的アプローチによる苦味マスキング技術では、コーティング膜に使用するポリマーの種類や膜厚などによって製剤からの薬物の溶出挙動が影響を受ける場合あるので、バイオアベイラビリティの低下を引き起こさないよう製剤設計しなければならない。このことは、製剤ごとに一から苦味マスキングのための製剤設計が必要であること意味する。


官能的アプローチによるマスキング技術の限界

一方、甘味剤や香料などを用いる官能的アプローチによる苦味マスキング技術では、製剤からの薬物の溶出挙動に影響を及ぼすことはほとんどないので、バイオアベイラビリティの低下のリスクは低いと言える。しかし、この官能的アプローチでのマスキング効果はかなり限定的である。

つまり薬物の味次第しだいである。薬物が有する味の不快度(または苦味)が強いものには全く役に立たない。甘味剤や香料で緩和できる薬物は、少し我慢すれば服用できる程度の不快感であると言えるかも知れない。


生化学的アプローチの潜在的可能性

生化学的アプローチによるマスキング技術に期待するもの

生化学的アプローチによる苦味マスキング技術には他のマスキング技術にはない大きな利点を期待したい。それは、薬物の物理学的特性の影響をほとんど受けない汎用性の高いマスキング技術の確立である。

先述したとおり物理的アプローチや官能的アプローチの目的達成度(あるいは成功か失敗かの分岐点)は薬物の物性次第である。

生化学的アプローチによるマスキング技術の一つとして知られるシクロデキストリンを用いた薬物の包接複合体も実際のところ薬物の分子サイズや立体構造によっては包接複合体を形成できないので薬物特性の影響を受けることになる。

たとえ包接化ができた場合においても苦味の抑制の程度は唾液中の苦味濃度に依存し、包接化すなわち薬物とシクロデキストリンの結合の割合に影響される。

目標とすべき生化学的アプローチによるマスキング技術は下記のようなコンセプトになるはずである。


生化学的アプローチによる苦味マスキングのコンセプト

生化学的アプローチによる苦味マスキングの設計コンセプトは、舌にある味覚受容体のうち苦味を感じる苦味受容体(hT2Rs)の働きを薬剤服用時のわずかな時間だけブロック(阻害)して苦味マスキング効果を達成することである。

したがって、薬物特性の影響を受けることなく、口腔内での薬物の初期溶出を抑える必要もないので薬物のバイオアベイラビリティを低下させることもない。OD錠の製剤開発にとっては理想的な苦味マスキング技術となるはずである。


苦味を感じるメカニズム

分子遺伝学の進歩により味覚受容体をコードする遺伝子の多くが明らかになり、味覚に対する理解が向上した。味を感じるのは舌表面近くにある味蕾という味覚受容器であり、味物質と直接接触できるかたちで存在している。

味蕾の中で実際に味物質を受容する(味を感じる)のが味細胞であり、味に対する受容体が発現している。 Gタンパク質共役型受容体(G-protein-coupled receptors;GPCRs)であるT2Rファミリーが苦味受容体として機能していることが明らかとなり、苦味を感じるには苦味物質が苦味受容体(hT2Rs)に作用する必要がある。[1]

ヒトでは、25種の苦味受容体(hT2Rs)は3つの異なる染色体に位置する25個の異なる苦味受容体遺伝子(TAS2Rs)によってコードされている。苦味受容体遺伝子の数は哺乳類によって劇的に変化し、牛は12、ネズミとラットは35~37である。ヒトは25個の苦味受容体遺伝子と11個の疑似遺伝子を持っている。

他の霊長類に比べて多くの疑似遺伝子を持っている理由は、人類が食物を調理して解毒化し、生命への危害を緩和していることを反映しているからかも知れない。

ヒトで機能する25種の苦味受容体(hT2Rs)の中には、多数の苦味物質を検出するものもあれば、少数の苦味物質しか検出しないものもある。

例えば、キニーネは9つの異なる苦味受容体を活性化し、フェニルチオカルバミドはわずかに1つの苦味受容体だけを活性化する。

味細胞を含む味蕾は、舌、軟口蓋、上喉頭及び咽頭の口腔全体に位置する。したがって、味覚受容体がある場合は、舌の全体にわたってすべての味覚の性質を感知することができる。[2]


生化学的アプローチによる苦味マスキングに使用したい化合物

タンパク質の加水分解によって得られるペプチドの中に苦味を軽減する物質があることが報告されている。特に、牛肉タンパク質をトリプシンとペプシンを用いて加水分解して得られたペプチドはキニーネの苦みを最も効果的に抑制することが分かった。このようなペプチドには苦味受容体(T2R4)を遮断する働きがあり、苦味マスキング剤として使用できる可能性がある[3]ということは非常に興味深いことである。

タンパク質中のアミノ酸の糖化により、糖化最終生成物(AGEs)が生成される。グリオキザール由来リジンダイマー(GOLD)とカルボキシメチルリジン(CML)の2つのAGEsを選択し、苦味受容体(T2R4)との相互作用を調べた結果、T2R4に対するGOLDおよびCMLは、T2Rの活性化または阻害を引き起こすT2Rリガンドであることが示唆された。[4]

牛肉タンパク質のアルカラーゼ加水分解物(BPAH)とキモトリプシン加水分解物(BPCH)とアミノ酸の糖化最終生成物(AGEs)をメイラード反応させてBPAH-AGEsおよびBPCH-AGEsを生成し、これらをキニーネに添加して苦味抑制効果を調べたところ、キニーネの苦味強度を有意に削減(最大38%)することが分かった。

添加量3%でヒト苦味受容体(T2R4)を安定に発現させるHEK293T細胞からのカルシウム放出は、BPAH-AGEs(最大96%)およびBPCH-AGEs(最大92%)によって有意に減衰された。

これらのことからBPAH-AGEsとBPCH-AGEsは、苦味マスキング剤として使用できると示唆された[5]。これらの糖化ペプチドの高い帯電状態は、T2R4タンパク質との疎水性相互作用を低減し、キニーネ誘導カルシウム放出に対する受容体応答性を低下(苦味強度の減少)させると推察されている[5]。


生化学的アプローチによる苦味マスキングに使用できる化合物

上述したようなペプチドが実際に苦味マスキング剤として医薬品に使用されるためには安全性が確認されていなければならない。苦味マスキング剤として味細胞レベルで苦味を遮断でできる安全性が確認されている化合物は存在しないのだろうか?

安全性、効能、使い勝手、エビデンスの質など多面的に評価した上で、現時点で苦味マスキング剤として選択できる候補化合物がある。それらは、酢酸ナトリウム(sodium acetate)、グルコン酸ナトリウム(sodium gluconate)およびアデノシン5“モノホスフェート(AMP; アデニル酸;adenylic acid)である。

これらの化合物はそれぞれ良好な使用性と安全性プロファイルを有し、一般的には安全性が高いと考えられ、ヒトの感覚パネルにおける苦味遮断の証拠を示している。[6]


【参考文献】
1J. Chandrasheker, M. H. Hoon, N. J.P. Ryba, C.S. Zuker, Nature, 444 (2006) 288 – 294
2J. N. Coupland, J. E. Hayes, Pharm. Res., 31 (2014) 2921 – 2939
3 C. Zhang, A. M. Alashi, N. Singh, K. Liu, P. Chelikani, R. E. Aluko, J. Agric Food Chem, 66 (2018) 4902 – 4912
4A. Jaggupilli, R. Howard, R. E. Aluko, P. Chelikani, Nutrients, 11 (2019) 1317
5C. Zhang, A. M. Alashi, N. Singh, P. Chelikani, R. E. Aluko, Nutriets, 11 (2019) 2166
6D. Andrews, S. Salunke, A. Cram, J. Bennett, R. S. Ives, A. W. Basit, C. Tuleu, European Journal of Pharmaceutics and Biopharmaceutics 158 (2021) 35–51