はじめに
私は喫煙しないのでお世話になった経験はないが、禁煙補助薬として「ニコチン吸入剤」が注目されていることを最近になってようやく知った。私が何故、そのことを知ったかというと、ニコチン吸入剤の製剤開発の裏には、超臨界流体技術(Supercritical Fluid Technology, SFT)という、ちょっと未来的な技術が活用されているからである。本稿では、このSFTがどのように医薬品開発に応用されているのかを、ニコチン吸入剤を例にしてわかりやすく紹介したいと思う。
| <目次> はじめに 超臨界流体技術とは? 超臨界流体技術のニコチン吸入剤への応用 ニコチン吸入剤の製造工程(代表例) 禁煙補助薬 Nicotrol® Inhalerについて 禁煙補助薬 Nicorette® Inhaler について 禁煙補助薬 Voke® について 医薬品開発への示唆 あとがき |
超臨界流体技術とは?
超臨界流体とは、気体と液体の中間のような性質を持つ状態の物質のことである。特に超臨界二酸化炭素(scCO₂)は、環境にやさしく、残留溶媒の心配が少ないことから、医薬品製造で注目されている。
この超臨界流体技術を使うと、以下のような利点がある:
- 溶媒残留リスクの低減
- 粒子径の制御がしやすい
- 熱に弱い成分にも適用可能
- 環境負荷が少ない
超臨界流体技術のニコチン吸入剤への応用
ニコチンは、揮発性が高く、酸化しやすいという性質がある。そのため、安定した製剤化が難しい成分のひとつとされてきた。そこで登場したのが、超臨界流体技術(SFT)というわけである!
具体的な応用例:
- 超臨界CO₂を用いた微粒子化:
- ニコチンを安定化させるため、scCO₂を使って微細な粒子に加工
- これにより、吸入時の分散性が向上し、肺へのデリバリー効率も向上した
- キャリア粒子との共晶化:
- ニコチンを担体と共に処理することで、放出制御や安定性の向上が実現した
ニコチン吸入剤の製造工程(代表例)
1. 超臨界流体の選定
一般的には二酸化炭素(CO₂)が使用される。その理由は、臨界点が比較的低く(31.1°C、7.38 MPa)、無毒・非可燃・残留性が低いという利点があるためである。
2. ニコチンの溶解
まず、ニコチンを超臨界CO₂に溶解させるが、単独では溶解度が低いため、エタノールなどの共溶媒(コソルベント)を添加することが多い。この工程で高純度のニコチン抽出も可能である。
3. キャリア粒子との混合・担持
吸入剤として使用するため、ニコチンをキャリア粒子(例えば、マンニトール、乳糖やセルロースなど)に担持させる。
超臨界流体中でキャリアとニコチンを混合し、圧力を急激に下げることでニコチンがキャリア表面に析出する。この方法は、超臨界含浸法(Supercritical Impregnation)」やRESS(Rapid Expansion of Supercritical Solution)と呼ばれる。
4. 乾燥・粒子調整
得られた粒子を乾燥させ、吸入に適した粒径(1~5μm程度)に調整する。粒子径の制御は肺への沈着効率に直結するため、非常に重要である。
5. 製剤化
粒子を吸入器(ドライパウダー吸入器;DPI)に充填し、最終製品とする。
この技術は、溶媒残留が少なく、熱に弱い成分(ニコチンなど)を低温で処理できるため、品質の高い吸入剤製造に適している。また、粒子の均一性や吸入性の向上にも寄与することが知られている。
禁煙補助薬 Nicotrol® Inhalerについて
Nicotrol® Inhalerは、米国で処方薬として使われているニコチン吸入型の禁煙補助薬である。喫煙の動作を模倣しながら、体にやさしくニコチンを補給できるユニークな製品として知られる。
Nicotrol® Inhalerは、ファイザー社(Pfizer)によって開発・販売されている、吸入器+交換式カートリッジで構成された製品である。この吸入器は、吸うことでニコチンを含む蒸気を発生させ、肺ではなく、口腔粘膜からニコチンを吸収させるタイプであるのが特徴的である。1本のカートリッジで約20分間の使用が可能(20回程度の吸引)とされている。非加熱・非燃焼が特徴で、吸うという行為が、心理的な満足感をサポートするとされている。安定したニコチン供給が離脱症状を緩和し、禁煙成功率を高めるため、医療的なサポートと併用されることが多いという。
Nicotrol® Inhalerの製造に超臨界流体(SCF)技術が活用されている可能性については、製造段階で高純度のニコチンの抽出や精製工程でSCF技術が活用されていると推察される。特に医薬品グレードのニコチンを安定供給するには、SCFのようなクリーンで精密な技術が必要である。しかしながら、特許情報などには開示されていないので、明らかなことは分からない。SCFは原料の前処理や中間製品の製造段階で使われることが多く、最終製品のパッケージや一般向け資料には記載されないことが多いため、やむを得ない。
尚、Nicotrol® Inhalerは、製造元(ファイザー社)によって2023年に製造中止となっているようだ。
禁煙補助薬 Nicorette® Inhaler について
Nicorette® Inhalerは、Johnson & Johnson社(McNeil AB)によって開発・販売されている非加熱・非燃焼型のニコチン吸入式禁煙補助薬である。喫煙の習慣を模倣しながら、体にやさしくニコチンを補給できるユニークな製品で、英国とカナダで販売されている。
Nicorette® Inhalerは、吸入器+交換式カートリッジで構成され、吸引によってニコチンを含む蒸気を口腔内に送り込む製品である。肺ではなく、口腔粘膜からニコチンを吸収するタイプである。1本のカートリッジで約20分間の使用が可能な他、数回に分けて使用可能である。
口腔粘膜からゆっくり吸収されるため、離脱症状を緩和できるという。吸うという動作が喫煙習慣の代替になり、心理的満足感を得やすいと評価されている。
Nicorette® Inhalerの製造に超臨界流体(SCF)技術が活用されている可能性については、製造段階で高純度のニコチンの抽出や精製工程でSCF技術が活用されていると推察される。特に医薬品グレードのニコチンを安定供給するには、SCFのようなクリーンで精密な技術が必要である。しかしながら、特許情報などには開示されていないので、明らかなことは分からない。
禁煙補助薬 Voke® について
Voke®は、禁煙補助薬として Kind Consumer 社(英国)によって開発された、加熱・燃焼・蒸気なしでニコチンを吸入できる、世界初の製品ある。この異色のニコチン吸入製品は、医療機器としてMHRA(Medicines and Healthcare products Regulatory Agency;イギリスの医薬品・医療製品規制庁)から認可されており、British American Tobacco(BAT)社から販売されているようだ。
主に、禁煙意志の強い喫煙者に対して、ニコチンを摂取することで禁断症状を和らげ、禁煙をサポートする。ニコチンは、脳内の報酬系を活性化させ、タバコを吸いたい気持ちを抑える効果がある。Voke®は日本では未承認薬であり、市販されていない(2025年11月現在)。
Voke®の製造に超臨界流体(SCF)技術が活用されている可能性については、製造段階で高純度ニコチンを得るためにSCF技術が活用されていると推察される。しかしながら、特許情報などには開示されていないので、明らかなことは分からない。
医薬品開発への示唆
この事例から学べるのは、難溶性・不安定な薬物の製剤化における超臨界流体技術(SFT)の有用性である。特に吸入剤のように、粒子径や分散性が治療効果に直結する製剤では、SFTが大きな武器になる。
さらに、環境に配慮した製造プロセスという点でも、持続可能な医薬品開発への一歩として注目されている。
あとがき
ニコチン吸入剤の開発事例は、超臨界流体技術が単なる製造手法であることを超えて、医薬品の品質や患者のQOL向上に貢献できることを示している。今後、抗がん剤やワクチンなど、より複雑な製剤への応用も期待されており、まさに“次世代の製剤技術”としての可能性を有している。
【参考資料】
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