はじめに
一般にペプチド医薬品の経口投与は困難とされている。消化管関門による不十分な吸収及びタンパク分解酵素による広範な分解という大きな障壁があるためである。それでもインスリンのような投与頻度が多いペプチド医薬品のためには皮下注射から経口投与への切り替えを可能にする製剤技術が望まれている。
そんな中、ペプチド医薬品では初めての経口固形製剤が誕生した。その製剤とは、2019年10月にFDAで承認された「セマグリチド錠」である。セマグリチド(遺伝子組み換え)は、ヒトグルカゴン様ペプチド-1(GLP-1)で、糖尿病治療薬として広く臨床で使用されている薬剤である。
これは、ペプチド医薬品の製剤開発におけるマイルストーンといえるかも知れない。
GLP-1の経口投与製剤の誕生
セマグリチド錠は、日本国内でも2020年6月29日に製造販売承認を取得している。製品名はリベルサス®錠(Rybelsus® tablets)で、3用量(3 mg, 7 mgおよび14 mg)の錠剤が製剤開発されている。
各錠剤の質量がそれぞれ400.7 mg 、404.7 mg 及び411.7 mgで、錠剤サイズはいずれも長径13.5mm、短径7.5mmの楕円形錠剤(白色~淡黄色の素錠)として製剤開発されている[1]。
従来品のセマグリチド製剤は皮下注射剤(週1回皮下投与)であり、今回開発されたセマグリチド錠は、1日1回服用の経口剤である。長期期間投与を必要とする2型糖尿病の患者さんのQOL(Quality of Life)を改善することを目的に開発されたものらしい。
セマグリチド錠には、吸収促進剤であるサルカプロザートナトリウム(SNAC;salcaprozate sodium)が1錠あたり固定用量で300 mgが含有されているのが特徴である。SNAC の含有量が 300 mg から600 mg に増加させると逆にセマグルチドの曝露量の低下がみられるようである。非常に興味深い!
SNAC以外の添加剤としては結晶セルロース(賦形剤)、ポビドン(結合剤)及びステアリン酸マグネシウム(滑沢剤)が使用されているのみであることからセマグリチド錠は一般的な製造方法で製造されていると推察される。
吸収促進剤 SNAC とは
サルカプロザートナトリウム(SNAC)は、ペプチド/タンパク質の経口バイオアベイラビリティを改善するための吸収促進剤として開発された低分子の脂肪酸誘導体(分子式:C15H20NO4. Na)である。
SNACの分子量は301.3 g/molであり、その遊離酸の分子量は 279.3 g/molです。SNACの化学構造を下記に示す[2]。
ちなみに、SNACという略号は、Sodium N-[8-(2-hydroxybenzoyl)amino]caprylateという化学名からきているようである。
SNACは、米国ではすでに市販されているビタミンB12製剤(FDAにより医療食に分類)にも含有されている化合物である。しかしながら、SNACは新規医薬品添加物に相当することからFDAのガイドライン「Guideline for Industry – Nonclinical Studies for the Safety Evaluation of Pharmaceutical Excipients」に準拠して安全性が確認されているようである。
SNACの吸収促進剤としての作用機構
SNACが吸収促進剤として作用するメカニズムは非常に興味深いものである。
ノボノルディスクファーマ社が公表している申請資料(CTD)によると、セマグリチドの経口投与での吸収部位は胃であり、SNACを用いて製剤化するとSNACが胃上皮の細胞膜に作用し、経細胞経路を介したセマグリチドの吸収を促進したということである。吸収のメカニズムは、脂質膜を流動化することと、セマグルチドの自己会合を間接的に弱めてモノマー化を促進することであると確認されているらしい。
また、SNACの吸収促進作用は一時的かつ可逆的であり、分子サイズに依存し、製剤化による投与が必要であるという。ヒト被験者のシンチグラフィー試験ではSNACと製剤化したセマグリチド錠剤の表面が胃内で浸食されている様子が示されている。SNACの局所でのpH緩衝作用により、セマグルチドの急速な酵素的分解を防ぐことによってもセマグルチドの胃内での吸収を助けているようである。それを裏付けるエビデンスとして、胃内の食物/液体によりSNACの吸収促進効果が低下していることがあげられている。
さらに、SNACをセマグリチドと製剤化せずに投与してもセマグリチドの吸収促進がみとめられないことから、SNACの吸収促進作用は有効成分との空間距離に影響すると結論づけられている。
新しい吸収促進剤の開発への期待
従来、ペプチド医薬品を経口投与した場合は胃内で分解されるので、腸溶性製剤にして小腸や大腸で吸収できるよう製剤学的工夫がされてきた。しかし、いずれも十分なバイオアベイラビリティが得られなかったように思う。今回、胃内での分解を抑制し、セマグリチドを胃から吸収させられることを発見したことは大きな進歩だと思う。
SNACが他のペプチド医薬品のための経口投与製剤の開発においても有効な吸収促進剤となるのかどうかは現時点では分からない。しかしながら、多くの製剤研究技術者がペプチド医薬品の経口投与製剤の開発へのモチベーションを高めたことは確かなようだ。新しい吸収促進剤の開発も含め、引き続きペプチド医薬品の経口固形製剤の開発が期待される。
あとがき
SNAC(N-アシルグルコサミンアセタミド)は、ペプチド医薬の経口投与を可能にする吸収促進剤として今、注目されている。特にGLP-1糖尿病治療薬の製剤開発において、SNACは腸でのペプチドの吸収を助けることで、効果を高めることが示唆されたことは画期的である。
SNACが他のペプチド医薬の製剤開発にも有用であることが示されたならば、本当に素晴らしいことだと思う。従来、ペプチド医薬やバイオ医薬品(抗体医薬)は非経口投与しかできないのが常識とされてきた。それが従来の注射による侵襲性の投与を避け、患者の負担を軽減することができるとなれば重要な製剤技術の進展であり、画期的なことである。
しかしながら、個人的な感想で恐縮ではあるが、ぬか喜びになりそうな気がしないでもない。現在、availableなデータだけでは他のペプチド医薬にも応用できるとは確信が持てないのである。もっとエビデンスがほしいところである。期待をしているだけになおさら必要なデータが入手できないのがもどかしい。
【参考資料】
1 | ノボノルディスクファーマ社のIF |
2 | KEGG DRUG: サルカプロザートナトリウム (genome.jp) |