はじめに
一般に注射剤を静脈投与すると有効成分が直接、血流に注入されることになるので血中濃度の持続化はまず不可能である。
そこで、注射剤の場合は製剤からの有効成分の放出(遊離)を遅らせるために皮下注射または筋肉注射で対応する。皮下注射または筋肉注射であれば、静脈注射と違って有効成分が血流に乗るまでに時間を要するので持続化のチャンスが生まれる。
ところで、近年のDDS技術は、抗がん剤、ホルモン剤、抗精神病薬、さらにはワクチンなど多岐にわたる注射剤にも応用されている。例えば、PLGAマイクロスフェアを用いたデポ製剤は、投与後数週間から数ヶ月にわたって薬物を放出することで、治療効果を長期間維持することが可能になっている。また、リポソームやナノ粒子キャリアによる投与システムは、標的組織への指向性(ターゲティング)を高め、副作用の軽減を実現するため研究が進んでいる。
非経口投与、特に注射剤では、薬物の効果を長期間安定して維持し、投与間隔を延ばすために徐放化(持続放出)とそれを実現するDDS(Drug Delivery System)技術が注目されている。本稿では、これらの主要な技術やその原理、応用例について、一緒に学んでいきたい。
注射剤の徐放化は皮下注射や筋肉注射で
皮下や筋肉内に投与された有効成分が血流まで移動する時間は、有効成分自身の分子量に依存する。
分子量が小さい有効成分であれば皮下や筋肉内で拡散されやすく、血管壁を容易に透過して血流に乗る(すなわち吸収されたことになる)。
一方、分子量の大きい有効成分ほど拡散されにくく血管壁を透過して血流に乗ることは容易ではない。
上述のような性質を利用することで注射剤の持続化が製剤設計される。正確に言うと、分子量の小さな有効成分であっても製剤学的工夫により注射剤の持続化が可能となる場合がある。注射剤の持続化に利用される製剤技術、すなわち製剤の種類としては、水系懸濁液、油性溶液、油性懸濁液、マイクロスフィア、エマルション、リポソームなどが知られている。
マイクロスフィアを利用した徐放化
マイクロスフィアというのは、高分子マトリックスに有効成分を封入させた、粒子径が数μm程度の球状の微粒子製剤のことである。
持続性注射剤として「リュープリン」という製剤が有名である。この製剤は、有効成分であるリュープロレリン酢酸塩を乳酸―グリコール酸共重合体(PLGA)で構成されるマイクロスフィアに封入させたもので、皮下注射すると生体内でPLGAが徐々に分解されるのに伴い有効成分が放出される。
PLGAの分解速度は調節されており、ほぼ0次に近い速度で有効成分を約1か月にわたり持続的に放出するよう設計されている。
リュープロレリン酢酸塩は、黄体形成ホルモン放出ホルモン(LH-RH)の誘導体であり、前立せんがんの治療薬として臨床使用されている薬剤であり、「リュープリン」という持続性注射剤の開発は製剤技術における一つのブレークスルーだと思う。
植え込み注射剤
上述したような持続性注射剤(Prolonged Release Injections)以外にも、注射剤の徐放化技術としては植え込み注射剤 (Implants / Pellets)が知られている。
日本薬局方/製剤総則によると、植え込み注射剤は長期にわたる有効成分の放出を目的として、高分子ゲル、針状成形物などからなる皮下、筋肉内などに適用する注射剤であると明記されている。
植え込み注射剤を製造するには、生分解性ポリマー(biodegradable polymer)、例えば、ポリ乳酸とその共重合体(ポリ乳酸系高分子)が使用される。
徐放化の基本原理
注射剤における徐放化は、薬剤(有効成分)が体内に投与された後、急激な血中濃度のピークを避け、一定期間にわたり徐々に薬剤を放出することを目的とする。このプロセスは、一般的には次のようなメカニズムを利用して実現される。
- 拡散による放出
- 薬物が多孔性のマトリックスや微小粒子内部に封入され、体液との濃度勾配に従って徐々に拡散して放出される
- ポリマーの分解による放出
- 生分解性ポリマー、例えば、PLGA(ポリ乳酸-co-グリコール酸)を利用して、ポリマーの加水分解・分解に伴い薬剤が放出される
- 分解速度を配合条件やポリマーの組成で調整できるため、放出期間の設計が柔軟に行える
- 相転移やゲル形成を利用したシステム
- 注射後、体温や体液と反応して液体がゲル状になるin situゲルやin situ form systemも存在し、これにより局所的なデポ(薬物貯蔵庫)が形成され、徐々に薬剤が拡散し放出される。
DDS技術の代表的なアプローチ
DDS技術は、薬剤の体内動態のコントロールや副作用低減、患者の服薬アドヒアランス向上を狙いとした先進的な技術である。注射剤におけるDDSとしては、以下のような技術が挙げられる。
- 微粒子・マイクロカプセル化
- 薬剤を微小なポリマー粒子(例えば、PLGAを使用したマイクロスフェア)に封入して注射する方法
- 封入剤は、薬物の拡散やポリマー分解により緩やかに薬物を放出するため、長期間の作用が期待できる
- 長期作用型ホルモン製剤や抗精神病薬の一部で実際に実用化されている
- リポソーム
- 脂質二重層で囲まれた微小な球状構造に薬剤を封入
- リポソームは生体に適合性が高く、標的組織への集積性や放出特性の調整が可能
- 注射剤としてのリポソーム製剤は、抗がん剤や感染症治療薬などにも利用されている
- インサイチュゲル・インサイチュフォームシステム
- 液体状の製剤が体内でゲル化または固まることで、局所的な薬物貯蔵システムを形成する
- 注射後に形成されるこのゲルは、薬剤がマトリックス内に留まり、時間とともに拡散を伴って徐放されるため、局所持続作用が期待できる
- ナノ粒子キャリアシステム
- ナノテクノロジーを応用して、薬剤をナノサイズのキャリア(ポリマー、脂質のナノ粒子)に搭載するアプローチ
- これにより、薬物の体内分布が改善され、標的細胞へのターゲティングと徐放性が実現される場合がある
注射剤におけるDDS技術の利点と課題
利点:
- 患者の服薬アドヒアランス向上
- 徐放性注射剤やデポ製剤は、注射間隔を延ばすことによって、患者が頻繁に病院へ通う必要を減らし、治療の継続性を高める
- 安定した血中濃度の維持
- 急激なピークの発生を避け、一定の治療効果が持続するため、副作用の低減や効果の最適化が期待される
- 局所標的化
- 特定部位への集中的な薬物送達が可能で、全身性副作用のリスクを低減できる場合がある
課題:
- 製剤設計とスケールアップの複雑性
- 微粒子の均一性、封入効率、放出速度のコントロールなどの工程条件の最適化が求められ、製造プロセスの開発には高度な技術が必要となる
- 安定性・貯蔵性
- 封入した薬剤が不安定になるリスクや、ポリマー分解が体内外で異なる振る舞いをする可能性など、品質管理上の課題もある
- 安全性の確認
- 封入材料(ポリマー、脂質など)が生体適合性を持ち、分解生成物が安全である必要がある
- そのため、長期の臨床試験や規制対応が求められる
あとがき
今後の研究開発が向かう先は、よりスマートな「オンデマンド」放出や、特定のトリガー(pH、温度、酵素活性など)に反応して薬剤を放出するシステムの開発に期待がかかる。その理由は、患者個々の病態に合わせた個別化医療への応用が視野に入っているからである。
非経口投与製剤、特に注射剤における徐放化とDDS技術は、薬物動態の最適化、投与頻度の低減、そして治療効果の向上に大きな可能性を秘めている。
また、バイオマーカーと連動したフィードバック型DDSや、自己調整放出システムなど、新規なアプローチについても研究が進められており、これらの技術がどのように臨床現場に応用されるかも今後の注目点となるだろう。
さらに、材料科学やナノテクノロジーの進歩とともに、今後も新たなDDSプラットフォームが次々と開発されることが期待されている。それらの研究開発の先には、より精密で、かつ個別化された医療が実現される可能性が高まる。