はじめに
徐放化技術の一つとして知られているスパンタブ型(Spatabs)徐放錠(二層錠)の製剤開発の事例として、シプロXR錠(シプロフロキサシン徐放錠)の製剤設計について紹介する。
技術的課題
シプロフロキサシン(Ciprofloxacin)は、ピリドンカルボン酸系の広範囲経口抗菌剤である。例えば、上気道感染症にはシプロフロキサシンとして、1回100~200mg(即放錠)を1日2~3回経口投与する。一方、尿路感染症(腎盂腎炎、膀胱炎、尿道炎など)の治療には薬効域での血中濃度より長く維持する必要性がある。このニーズを満たした医薬品を米国市場に導入することをバイエル社が企画した。そのおかげで私達は尿路感染症治療のための1日1回投与製剤を開発する機会を得ることができた。
しかしながら、シプロフロキサシンの原薬物性は徐放性製剤の開発には全くもって不向きなものと言わざるを得ない。1日1回投与製剤を開発する上での技術的課題をまとめると次のようになる(下図参照)。
- 限定された吸収部位(主な吸収部位は十二指腸で、大腸では吸収されない)
- pH依存性の溶解度(酸性では溶解するが、中性では溶解しない)
- 原薬は不安定(多形が生じるリスクがあり、湿式顆粒圧縮法は採用できない)
- 用量が多い(用量1000 mgの場合、水和物として1190 mgの含有量となるので錠剤が大きくなる。許容サイズでのdrug loadは計算上79%超となる)
問題解決のアイデア
上述のような技術的課題の解決策として考案したが次のようなものであった(下図参照)。
- 吸収部位が十二指腸に限定されていることから、薬効を期待できる十分な血中濃度を維持させるために即放性と徐放性を併せ持つ持続性製剤を設計する
- pH又は食事による胃腸管内での溶出挙動への影響を最小化するために新たに“Buffer system”を開発する
- 乾式造粒法の採用(ローラーコンパクターとロールグラニュレーターを併用する)
- 使用する添加剤の量をできるだけ少なくし、79%超のdrug loadを達成する
製剤設計のコンセプト
シプロフロキサシン1日1回投与製剤(Ciprofloxacin Once Daily Tablets;Cipro OD)の製剤設計のコンセプトを下図に図解してみた。
剤形として即放部(Immediate release; IR)と徐放部(Controlled Release; CR)からなる二層錠を選択した。
CR層の方がIR層よりも質量が多くなるので、この場合は有核錠を利用することはできない。Cipro ODの製剤設計のポイントは、Buffer system(後述)の考案と徐放性マトリックス錠の処方設計であった。
CR層を構成する徐放性マトリックスには、ヒドロキシプロピルセルロース(HPMC)を用いる親水性マトリックスを選択し、HPMCの粘度グレードと配合比率及びその添加量を調節することで目標とする溶出速度を達成した。
打錠用末の製造にはローラーコンパクターとロールグラニュレーターを併用した乾式造粒法を採用した。フレーク(リボンとも呼ばれるシート状のロールによる圧縮成形物)の製造に使用したのはローラーコンパクターである。整粒機としてはロールグラニュレーターを使用した。ロールグラニュレーターは、微粉(粒子径63 μm以下)が生成する量を抑制するのに効果的であった。
二層錠の打錠には多層打錠機を用いている。特に、楕円形錠においてはその形状のデザインによって多層打錠やその後のフィルムコーティングがし易いか否かが決まる。この難しい課題についてはバイエル社のノウハウを活用することでクリアできた。
Buffer Systemのアイデア
次に、シプロフロキサシンの溶出へのpHの影響を緩和させるために考案したBuffer systemについて説明する。
このBuffer systemは、基本的にシプロフロキサシン、シプロフロキサシン塩酸塩およびコハク酸の三成分からなりIR部とCR部ではそれぞれの組成比が異なる。
下図の三角グラフ中でA点と示した組成比はCR部に使用したBuffer systemであり、Xと示した組成比はIR部に使用した組成比である。尚、ピンク色で示しているゾーンは、このゾーンにある組成比で製剤を調製した場合、溶出試験液として用いた緩衝液pH 1 – pH 4.5の範囲内(精製水で試験した場合も含む)ではpHの影響を受けない溶出速度が達成できることを示す。
Buffer systemを考案できたのは、バイエル社にはシプロフロキサシン塩酸塩を含有する錠剤とシプロフロキサシン(base)を用いた注射剤の市販製品があり、これら2種類の原薬を使用できたことは大きなアドバンテージであった。
配合剤でもないのに2種類の原薬を使用することは前代未聞のことで薬事担当者も困ったことでしょう。当時、シプロフロキサシンはブロックバスター化していたので、多少無理が通ったのかも知れない。
Cipro XR錠の誕生
上述したような製剤技術の成果として誕生したのがCipro XRという製品であり、FDAの承認を受けて米国で販売されている。
Cipro XR の特徴の一つは、2種類のシプロフロキサシン原薬(drug substance;塩酸塩とbase)及び添加剤としてコハク酸(succinic acid)を用いて製剤化されていることで、それは添付文書にも明記されている(下図参照)。
Cipro XR錠の1日1回投与は、即放錠の1日2回投与とほぼ同等のバイオアベイラビリティを示し、血中濃度の維持時間については即放錠の1日2回投与よりも優れていることが示された(下表参照)。
またCipro XR錠は、食事の影響もほとんど受けないことが認められたので、食前・食後のどちらの場合でも服用してもらえる製剤である。適応症についても尿路感染症で承認を得ることができ、当初の開発目標を達成することができた。
シプロフロキサシンのような抗菌剤では、薬物血中濃度を治療域に速く到達させないと病原性微生物(細菌)を死滅させる(殺菌)ことができず、場合によっては耐性菌を生み出すリスクがある。細菌を確実に素早く死滅させることが重要である。
そのためシプロフロキサシンの徐放製剤の開発では、即放性(IR)と徐放性(CR)を兼ね備えた製剤(剤形)であるスパンタブ型(Spatabs)徐放錠が理想形の一つとなり得る。
スパンタブ型徐放錠(二層錠)の製剤開発のケーススタディとして、シプロXR錠の製剤設計を紹介させて頂いた。
あとがき
シプロXR錠の製剤設計を担当できたのは私にとっては大きな喜びであり、幸せであった。成功しなくても仕方がない、成功できたら賞賛に値するとされた製剤開発プロジェクトを任されることは、私のような製剤研究技術者にとってはどんな報酬や賞賛よりも得難いものであった。
このCipro XRの製剤開発はドイツ・バイエル社が外部の製剤開発企業に業務委託したプロジェクトであり、本命は米国Alza社であり、対抗はインドに本拠にある製剤開発会社であった。私たち日本の弱小チームはダークホースにすら数えられてはいなかったと思う。あまり期待はされてはいないが、全く無視されているわけでもなかった。いわゆるプレッシャーのない「ゆるい」環境で楽しく製剤研究に精を出し、会社から給料を頂けるなど、今となって思えば、何と恵まれていたのだろうと思ってしまう。
先述したように、私がBuffer systemを考案できたのは、自分が勤めるバイエル社にはシプロフロキサシン塩酸塩を含有する錠剤とシプロフロキサシン(free base)を用いた注射剤の市販製品が存在したからである。これら2種類の原薬を使用できたことは私にとっては大きなアドバンテージとなった。
もっとも配合剤でもないのに2種類の原薬、しかも有効成分が同じである塩酸塩と遊離塩基を使用することは前代未聞のことであった。同僚や上司たちの大半が臨床試験の結果で証明されるまでその有用性を信じてはくれなかった。全く前例がないのだから専門知識や経験があればあるほど、当然の反応であったと思う。
米国Alza社は、当時の私の憧れの製剤開発企業であった。そのAlza社の提案する徐放システムに臨床試験(PK試験)で勝ることができたのは、この突飛なBuffer systemを採用できたことに尽きる。
そして、若輩の猪突猛進していた私のアイデアを最終的に受け入れてくれた上司たち、特にバイエル社で製剤開発のグローバルヘッドであったDr. Roland Ruppに最大限の感謝をしたい。
Cipro XR projectでの彼のリーダーシップがなければ、私のアイデアなど日の目を見ることは決してなかっただろう。私はチームの同僚だけではなく、多くの優れた上司にも恵まれていたのだと改めて思う。
Dr. Ruppの訃報を2024年7月に耳にした。確か、年齢は80歳を過ぎて数年も過ぎていないはずである。80歳のバースデーカードを送ったら、病床からメールで返信してくれたのが昨日のように感じる。ドイツ・レバークーゼン市にあった製剤研究所での研修時代に彼の指導を受けて過ごした日々や、日本で一緒に登った乗鞍岳や信州・白骨温泉へのプライベートな旅での彼の笑顔が私の脳裏に浮んだ。彼の冥福を祈りたい。